富める者の世界

 霧が掛かっている。気温は2度。日中は20度を超すらしい。

 アメリカ大統領が来日し、何か期待される出来事が起きるかと期待している向きは多くないと思う。今の日米関係、安倍首相とオバマ大統領の関係、TPP、日米安保、両国にある関係は少しギクシャクしていると自分は思っている。

 世界情勢は、日本が敗戦した第2次世界大戦直後のようにアメリカが世界に権勢を誇るような時代では無くなってきている。世界の多くの国々は、経済的にも発展し繁栄を享受できる人が増え、それまで発展途上国と見なされていた国も工業が栄、経済的にも発展を遂げ、少数の国が世界の経済を支えるような時代では無くなってきた。

 世界がそのようにグローバルに発展することで、人々の意識は変わり始め、富めるものは益々富を獲得するようになり、そうすることで国家という枠組みを嫌うような考えを持つ人間が増えてきた。

 世界の富の多くが、一握りの富豪と呼ばれる人たちの元に集まり始めると、その富を如何に国に取り上げられずに済むかということに奔走し始める。

 まず、考えるのは、権力者を味方につけることである。また、富の多くをタックスヘイブンと呼ばれる地に移すようになる。それは、右手で握手を行い、左手で相手の頬を打つようなものである。

 何時かは、その関係は崩壊する。その切っ掛けは、保護者たる人間が、権力争いで負けた時である。そのとき保護者を失った者は、新たな権力者に取り入るか、その富を没収されるかである。

 では、その権力者にすり寄るよりは、効率的に自分を守るかと考えるなら、自分が権力者に成るか、或いは自分の操り人形を権力者にするかである。その考えを推し進めれば、究極的な考えは、自分の王国を作ることだろう。

 きっと、世界の富豪の多くは、自分の王国を作りたいと思っているだろう。そのためには、権力を握り、土地を確保し、外敵の脅威に備える。敵と思えば、その敵を弱らせることに全力を尽くす。

 今、民主主義国家の国民は、法の下に於いて平等に扱われると勘違いしているだろうが、それは、あくまで聖書のようなものであり、権力者の思惑ではいかようにも成るという事を知らない。

 日本でも民主主義と言いながら、権力を持つ、持たないで差別されている。幾ら国民の過半数が、原発はいらないと言っても、権力を持つ者にとって原発は必要な道具である。今後、再度大地震が起きてまた国民の多くが避難するようなことに成ったとしても、自分たちが実害を受けなければ平気なのである。将来の危険性よりも、現実の利益が優先される。

 原発が稼働しないことで蒙る損失は、富める者にとって許さざれることであり。自分たちの富を減らすことに敏感である。富める者にとって、未来に受けるかもしれない損失は、その時が起きるまでは無視できる現実なのである。

 今後、怖れることは、世界の一人握りの富める者たちが協力関係を持つことだろう。まるで、どこかのスパイ映画のようなストーリーではあるが、もし、世界がその者たちのために動き始めた時、民主主義というのは、国民の不満を息抜きさせる道具でしかなくなる。自分たちが信じている現実は、富める者たちが用意した舞台で踊るミニチュアの人形劇でしかなくなる。