この日に考えること

 曇り、気温は19度。


 今日は、終戦記念日である。また再び、戦争を起こし多くの人が犠牲に成らないように誓いを建てる日でもある。

 集団的自衛権の解釈問題に端を発し、日本が戦争を自ら戦争を行えることが可能なのか可能でないのかという境界の議論でもあるのだが、実際にそのグレーゾーンに陥ったとき、多くの人が犠牲になってからでは遅いという話である。

 もし、他国から日本目掛けて多数のミサイルが同時に発射された場合、そのミサイルを迎撃するか、そのミサイル発射基地を先に叩くかどちらを選択するかという議論でもある。

 手札としては、両方あれば有利に駆け引きが行えるが、迎撃するだけだと相手に脅しは効かないという事に成る。実際に多数のミサイルが日本目掛けて発射された時、全て迎撃システムで撃ち落とされるかと言えば可能性はゼロではないが、それをすり抜けるものもあるだろう。

 戦争というものは、国益国益の争いである。今回の中国との領土争いにしても、もし日本が自衛隊という組織を持たず相手に攻撃を受けないという事実が有れば、中国は、簡単に攻め取ることだろう。韓国が、竹島を領有化した時も、日本が敗戦国となりその当時武力を持たない存在だったから他ならない。


 自分たちの住む国の見える範囲の土地は自分たちの領地にしたいという欲望はどの国も持つものである。それが紛争を起こしてきたのである。もし、その時に抵抗もせず受け入れた時、相手は将来の仇討に備え皆殺しにするという蛮行を受けることも有った。

 戦争を望まないために、国境を無くしてしまう方法がある。誰でも自由に地球上の地を行き来する世界である。そういった世界が成り立てば、国という考えは無くなるだろう。しかし、人が大勢存在すればするほど縄張りが生まれ敵対する相手を排除しようとする。

 理想を求めるには、人間は余りにも利己的である。自分の生活を守るためにルールを変えることもしばしば起こる。それが敵を作り、そのルールを守るために軍隊を作る。時には、自分たちの利益のために反対する集団を根絶やしするようになる。それは持って生まれた本能である。それを否定することは不可能である。

 もし、世界に100人程度の人間しか住んでいなければ起こりえない問題だが、現実は遥かに多い人間が生活しているのである。