快晴、気温は1度。日中は17,8度まで上がりポカポカ陽気になるようである。太平洋の台風が暖かい空気を上に押し上げているらしい。今週は晴れが続く。


引用 WSJhttp://jp.wsj.com/articles/JJ11063604432312773429617940553134108311930?tesla=y&tesla=y&mg=reno64-wsj) 

4日の参院予算委員会で、社民党吉田忠智党首が政治とカネの問題の質問の際、安倍晋三首相の脱税疑惑を報じた過去の週刊誌記事を取り上げた。これに首相が「まるで犯罪者扱いだ」と激高し、審議が一時中断する場面があった。

 日本の民度はこの程度である。国会のあり方を議論しようとしてもその当事者たる国会議員たちの意識が低ければ最善の解決策なの実行できない。

 その最たる例が、国会議員の定数削減であるが、民主党の野田政権が先送りしたまま自民党政権内で議論された形跡はない。消費税などの国民負担を押し付けた割には、自分たちの改革はおざなり、更に国会論議は、自分たちの身から出た錆で肝心な議論が先送りされ、いつの間にか決まって行く。

 官僚が政策を作り、議論の無いまま政策が決まり、自分たちの恥をさらけ出す議論しかしないのなら国会を開催することに何の意味があるというのだろうか?甚だ疑問である。

 そういった国会議員を選んだ我々にしっぺ返しが来ているのである。本当なら、選ばれた国会議員は時限付の特権階級に選ばれたと同じ意味を持つ。その地盤を維持すれば孫子の代まで階級を維持することも可能である。

 その選ばれしグループに加入するには、まず自民党という歴史ある党に入党する必要がある。そうして地盤を地縁血縁を屈指し、縁故、職権乱用で有権者に利益供与し支持者グループを作り上げる。

 そうして、確固たる地盤を作り上げれば親子孫までの政治家の血統が作り上げられる。そうして今の国会議員の集団が生まれたわけである。

 自民党が政権にある間、その特権階級の椅子を確保するために定数を減らす考えは毛頭ないだろう。全ての議席を確保すれば自分たちの思いのままであるし、実際にはある一定数の野党の議席は存在するにしても、自分たちが入り込むスペースは広い方が楽なことに変わりない。

 そんなことに無縁な庶民にしてみれば、国会議員何てと非難しても、その高みにいる人間たちは何の痛みも感じない。それが今の日本で、そういった組織が出来上がるように長年苦労して築き上げたものである。いやはや何とも言えないバカ者たちである。

 戦争という多くの犠牲を払って維持しようとしていた国家がこのありさまでは、人生の半ばで死んでいった犠牲者は何を思うであろう。自分たちの死が何の意味ももたらさなかったかを知っているのだろうか、既にあの世にいてはこの現状を知ることは無い。

 幾ら、自分たちを日本国民だと叫んでみても、日本とういう国が出来た時の国民性と全く違う存在になっているはずで、日本史で習った歴史の過程で日本人はその時々で変わってきたはずである。その中で本当の純粋な日本人など存在しないと思われる。

 そうした時代の中で国という概念を維持していくには、やはり共同幻想たる理想の日本国家を夢見て行動していかなければならないのだろう。それは、犯罪が無く、全ての国民が一定の生活水準を保てる国である。それを守られることを願って今の日本という国が成り立っているのだと思う。

 その理想を実現できるなら出身国のような国籍を無視して構わない。純粋な日本人だと名乗って犯罪に手を染め、他の人間の分け前をも強奪しようと企てる人間よりましである。

 理想国家を実現するために、人種を超えた人間が集まり理想を達成しようとするエネルギーが国を作るのが正しいことである。

 それは理想だけれど、それを実現するための努力の過程にいることが重要である。