対 磐田戦

 晴れ、気温はマイナス。

 もう昨日のことになってしまった。最終戦の磐田との試合を見にドームに行ったわけであるが、実は生小野選手を見に行ったともいえる。

 試合結果は、いつもの通りの引き分けである。ラストを飾る試合も引き分けとプレーオフの掛かったラスト4試合を同じ結果で終えるというのは、今期の札幌を象徴しているだろう。

 小野選手も、試合前の練習、ハーフタイムの練習、そして、ラスト5分からの出場を見れて良かった。

 この試合ゴール裏は、非難めいた横断幕を掲げていたが、改めて応援をする、応援させる雰囲気を作るのは、サポーターだけの

力ではなく、やはりチームがさせるものである。そういったさせたいと思わせる選手の存在が応援につながる。お気に入りの選手がいなくても応援するということはあり得ないことだろう。

 ゴール裏を横目で見ながら、自分の好きな時に声を出し、手拍子をする、それだけで選手の後押しができればと思う。みんなで声を合わせ歌うごとで相手チームに圧力を与えるためでは無く、ブーイングをして相手を威嚇することでも無い、自分のお気に入りの選手のプレーの後押しができるだけでいいのである。

 そうでなければ、応援の押し売りであり、ただの汚いヤジを飛ばすだけに来ている親父とやっていることは何も変わりはない。それは、自分のストレスを解消するために来ているだけのことである。

 もしかすると、ゴール裏の行う規律正しい応援スタイルというのは、もうすでに過去のスタイルのような気がしてきた。応援のない試合を見るのはさみしいが、くそみたいな試合を見続けながら懸命に応援している姿は、ただの自己満足だと思う。

 本来、選手たちの素晴らしいプレーに自然と拍手が起こり、チャンスに大きな声を出すことが積み重なって応援が始まるのであって、試合を見ずに声を出すことではない。

 ゴール裏からの声が無いと寂しいと感じるかもしれないが、一度、リセットするべきである。今のような応援が選手の後押しをしているとは思えないし、試合をしているのはあくまでも選手で応援しているサポーターではない。そこを勘違いすると、あたかも応援している自分たちのほうが偉いというような錯覚させる原因になると思う。

 試合後のセレモニーで社長がゴール裏の弾幕にこたえようとしていたが、社長自身が選手自身であるから、彼らの問いに答えを出そうとしていたが、きっとあれに関しては、違う考えがあったに違いない。社長という立場から答えをはぐらかしたように思う。入場料収入もチームを支える貴重な財源であるから。

 そして、そのはぐらかすための材料として稲本選手へのオファー発言があったのだと思う。オファーはしているけど来るとは限らないという発言もはぐらかすための言い訳に聞こえたのも事実である。

 来季、新生コンサドーレが誕生するのであるが、多くの選手がこのチームを離れることになるのだろう。それでなければ目標を果たせないからである。一生、J2にいることを目標にしていては、だれもついては来ない。従業員やサポーターに夢を持たせてこそ、そしてその実現への過程を共有することが大切であるから。

 上にも書いたが、試合の中心は選手でありシーズン中は主役である。しかし、シーズンがいったん終了してしまえば、そこからはある意味売り買いの対象となる存在である。表現が悪いがもののように扱われるのを覚悟しなければならない。それは、選手たちも理解しているはずである。それを理解していないのなら選手失格である。

 長い冬の間、次のシーズンが到来するまで、次のチームが完成することを楽しみながら、来季こそはJ1に行っても通用するチームに仕上げてもらいたいと思う日を過ごすのである。