殺人事件報道

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引用 河北新報http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201501/20150128_13018.html) 

名古屋市で77歳の女性を殺害した疑いで逮捕された名古屋大の女子学生(19)は高校卒業まで宮城県で過ごした。地元では驚きと困惑の声が広がった。

 実家周辺の住民によると、女子学生は名古屋大に進学するまで両親らと4人暮らし。隣家の女性(82)は「感じの良い子。事件を起こしたとは考えられない。何かの間違いではないか」と驚きを隠せない様子だった。

 このような事件が起きると必ず出る論調が、「大それたことを起こす人では無かった」である。人は人を殺さないという前提で話が始まる。

 そんなことは無い、人は人を憎みそして自分の利益のために人を殺すことを厭わない動物である。ではなぜ自分たちの周りで人殺しが起きないのか?

 その理由は、日常的に一つのコミュニティの一員に成ることで、味方である他人を殺すことを防いでいるのだ。そのコミュニティから一歩出てしまえば人殺しもありうる。

 更にもう一つの理由が、何時誰かに殺されるかもしれないという社会では無く、少なくとも人を殺せば罰せられる社会というルールが存在する場所で生活していることも有る。

 また、相手がどんな利益をもたらすかもしれない状況であれば、まず、状況を確かめて行動しなければ自分の生活ができないという状況もある。

 だから、そのコミュニティの中で逸脱すれば人を殺す人間になる。その縛られているものの数により人は行動を抑制されていると言って良い。そのタガが外れれば、この女子大生のように興味本位で人を殺すという事を実行するようになる。

 

 

 ただし、相手が何時も自分の命を狙っていると考えて生活するより、何らかのルールで縛られている社会で暮らす方がはるかに楽なのは言うまでもない。

 しかし、人間の理性と呼ばれる何らかの精神的拘束も何らかの因子により外れやすくなることも事実である。精神的障害や薬、或いは訓練などである。

 だから、日常的に殺人事件が起こり、戦争が起こっている。人間は人を殺さないという前提から、人殺しを減らそうと思っても上手く行かない。人を殺してしまうのが人間の本能だと理解したうえで犯罪を防ぐことが大切なのだ。

 上の記事のように、人を殺すことは有りえないという事実を覆い隠すような報道は、まやかしに過ぎず自己満足に浸っているとしか言いようが無い。