善悪の境界

 晴れ、気温はマイナス11度。

 今日から札幌雪まつりが始まるという事で朝の民放テレビはこぞってその雪像の姿を映していた。これだけのものを1か月ほどの時間で作るのは本当に素晴らしい技術だと思う。ただし、やはり期間中の混雑はやりきれないので、朝早く行くのが見やすくて良い。

イスラム国に関連して、

引用 朝日新聞http://www.asahi.com/articles/ASH245JYQH24UHBI01W.html

過激派組織「イスラム国」がヨルダン軍パイロットのムアーズ・カサースベ中尉とみられる男性を殺したことに、対「イスラム国」連合軍に参加する国々は一斉に反発した。とはいえ、米国が音頭をとる空爆に新たに加わりそうな国はなく、むしろ、連合軍の結束が揺らがないかと米国は心配している。

引用 日本経済新聞http://www.nikkei.com/article/DGXLASDC04H0P_U5A200C1EA2000/

中東の過激派「イスラム国」を名乗る組織がヨルダン軍パイロットの「殺害」映像を公開し、ヨルダン政府が報復を宣言したことで、中東情勢は一段と緊迫してきた。ヨルダンをはじめ周辺国ではイスラム国に対する強硬論が噴出。米国はイスラム国掃討の有志連合の結束強化を急ぐ。報復の連鎖が続けば中東は泥沼化のおそれがある。

 現在空爆に参加している国は、アメリカ、ヨルダン、サウジアラビアバーレーンUAEである。更に他の国に参加を呼びかけているが参加国は増えそうにないと伝えている。

 新聞社の記事の論調に流れているのが、報復の連鎖である。この辺りの考え方は、教育の成果であろう。キリスト教では無いが、「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」やインドのガンジーの無抵抗主義を道徳教育で教わった世代が活躍する時代である。

 間違ってもヨルダンのように報復で死刑囚を絞首刑にしたりは、今の日本では起きそうもない。昨日も、最高裁判所が、裁判員裁判の死刑判決を破棄し無期に差し戻す国である。これが文明国のお手本という事だろう。

 

 今の日本の空気は、善悪の境界が壊れた感じだと思う。それは、昔からそうだという人も多いと思うが、結局、平和という言葉を唱えていれば何もかもが平和になるという教えとは裏腹に、その言葉とは真逆の行動をとることである。

 平和主義という言葉は浸透したが、それはあくまで建前であり、各個人の自由意思、自己責任という個々の判断に任せた行動を許容する流れである。

 善悪は、価値観である。そのハードルは個人により高さが異なる。傍から見て極めて低くても、その個人がそれが普通と思えばそれが許されてしまう空気である。

 更に言えば、多数決で明らかに黒い物も皆が白いと言えば白に成る、それに反対する人間の意見は無視される。それは、思想的に右左は関係が無い。

 今回の日本の論調とヨルダンの国民の考えが異なるのも、そういった生まれ育った環境がそういった意見を形成されるのである。

 日本が唱える平和主義は、それを信じる者が多数いて初めて通じる言葉である。日本という国で生活して初めて通じるだけで、中東やアフリカで通じる言葉では無いことを知るべきである。

 人間が動物的な本能で生きているならば決して通じない言葉であるのは間違いない。