辺野古

 晴れ、気温はマイナス3度。

 昨日の日中の陽気で急激に雪が融けている。この分で行くと相当雪解けが早そうだが、これも温暖化という事なのだろうか。

引用 朝日新聞http://www.asahi.com/articles/ASH2J6FMWH2JTPOB006.html) 

沖縄県翁長雄志知事は16日、米軍普天間飛行場宜野湾市)の移設に向けた名護市辺野古での準備作業の一部を停止するよう、沖縄防衛局に指示した。従わない場合は、埋め立て工事に関連する許可を「取り消すことがある」とした。ただ、対象となる作業はすでに終わっているといい、今回の指示が準備作業に影響するかは不透明だ。

 沖縄にある普天間飛行場を移動し、辺野古沖を埋め立てて軍用飛行場を作る計画について、県知事選挙が終わり、その公約を果たすべく知事が動くのは当然の事である。

 当然、沖縄県と国とで考えは異なるのは当然の事である。色々な意見が合って良いと思う。ただし、それは正当な意見が交換できる場が用意されていればのことであり、その場が無く、お互いの主張を繰り返していては議論は平行線をたどるのは自明である。

 国を形成する国民が全て同じ考えを持つことは無い。ある部分では同意するがそれ以外の部分で異なることは多いはずである。それらの意見をまとめ国民の意思が形成される。

 今回の辺野古の問題は、自然破壊に反対、米軍基地に反対、戦争反対というように多くの考えの中で共通する部分、国が辺野古沖を埋め立てるのを反対することで利害が一致した人が集まったと解釈できるだろう。

 ここで問題なのは、数年前に辺野古沖を埋め立てることで国と県が合意したことを白紙に戻せるかという事に成る。戻すことが県民の総意という事実が有ればそれは民主主義のルールに従えば、再考する必要性は出てくるだろうが、もし、それが許されるとしたら、国家の事業は成り立たなくなるのも事実である。意思の合意と形成は、民主主義の大切な原点であり、それが前提に無ければ多数決も無意味になる。

 数年前に合意されたものは、何時まで効力を持つことができるか、更にそれにより安全保障を逸脱するとしたらその先にある合意は、どう形成されるべきなのだろうか。

 世界の国々が大きな理想の元、平和主義を貫き通せる土壌が形成されていれば良いが、残念ながらそういった土壌にはほど遠い。

 自分が暴力や争いを好まなくても否応なくその渦に巻き込まれてしまう人がいる一方で、日本のように平和的環境の中でのみ平和を唱えていることがどれだけ幸せな事なのかしらない人たちが大勢いる。

 それは、念仏のようなもので、戦争反対と言葉を発していれば戦争が起こらないと勝手に解釈しているだけかもしれない。それはまさしく平和教信者である。

 日本だけが戦争反対を唱えていても、他の国が追随しなければ国対国の関係では平和主義は成り立たない。多くの国は、平和を唱えながらも時刻の利益のためには武力行使も辞さないと考えているからである。

 

 日本だけが唱える平和主義は、絵に描いた餅である。それを実践するには、やはり多くの国がその理想をめざし、武力放棄していかなくては実現しない社会である。

 果たしてその思想が世界に広めることができるのか、その理想が実現するその日を知ることは、自分が生きている間には不可能だろう。