戦争責任

 晴天。風は少し冷たいが寒さの峠は越えたようである。気温は零度。

 

 今週は、少し堅い話が続く。

 今、中韓政府から日本パッシングにあっている。その一つが戦争責任である。

 ただし、今の中国政府は、第2次世界大戦が終了した後にできた政府で、戦争当時は国民党政権であり今の台湾に追いやられた。更に韓国は、第2次世界大戦当時まだ独立していず日本に併合された状態であった。

 

 しかし、中国政府は、当時の日本軍と戦った中国軍の代理であり、韓国は日本に併合された際、併合を望んでいなかった韓国人たちの代理として戦争責任を述べていると解釈すれば良いのかもしれない。

 戦争責任を果たすという期限は果たして何時まで続けなければならないことなのかきちんと整理しないと反省したくとも反省できないというのが本音だと思う。

 日本は島国の為、他の国から攻撃を受けた歴史を顧みれば、古くは蒙古襲来であろう。しかし、その時は国内に上陸せず内戦とはならなかった。

 

 次は第2次世界大戦になるのだろうが、アメリカ軍が日本本土に上陸したのは、日本が降伏した後であり厳密にいうと内戦にはならなかった。ただし、アメリカ軍による空襲により相当数の犠牲者が発生している。

 こうやって見れば、日本は国が出来てこの方他の国と国内で戦闘を行っていない国というのが判る。ただし第2次世界大戦中に日本人が居住していた満州や南方諸島では交戦が起こり日本軍の兵隊とそれと共に民間人が戦争の犠牲者になっている。


 前置きが長くなり本題に中々入っていないが、戦争責任という言葉は、実は日本人自ら生み出した言葉ではないかと思う。戦争が終わり、日本という国が推し進めて来た戦争で多くの犠牲者が発生し、自らの国民の多くを失ったことを自己反省するために編み出した言葉である。

 もし、戦争責任という世界共通の認識があるとしたら、歴史を遡れば遡るほど戦争責任を立派に果たした国がどれ程あるだろうか。

 古くは、ギリシャを中心としたマケドニア王国、今のイタリアにあったローマ帝国、今のモンゴルから出たチンギスハンのモンゴル帝国、これらの国は、領土拡大のため次々と隣国に攻め込み多くの犠牲者をだした。

 しかし、ギリシャ、イタリア、モンゴルそれぞれの国が今でもその征服による犠牲者を出したことを反省し、戦争責任を果たしているとは聞いていない。

 そうすると戦争責任というのは、ある限られた期間で終了する有限のものであるか、或いは国として歴史上消滅しなければ消えないもののどちらかであると考えられる。

 歴史的に見て第2次世界大戦の前に起きた第1次世界大戦の敗戦国であった、ドイツ・オーストリアオスマン帝国(トルコ)・ブルガリアの内、ドイツは巨額な賠償金を払う事に成り、オーストリアオスマン帝国は解体し、ブルガリアは、主戦前に戦線を離脱したため敗戦国にはならなかった。

 敗戦国となったドイツだけが戦争責任という形で賠償金を払ったが、その後再度第2次世界大戦を引き起こし、再度敗戦国になり、その当時のナチス政権が起こした数々の行いについて反省の弁を述べている。

 その以前のヨーロッパは、多くの国がせめぎ合い、戦争を起こしてきたがそれに対して国が征服されるされないの歴史だったため、戦争責任という言葉は発生しなかったのだと思う。

 

 以上のことから戦争責任という言葉は、第1次世界大戦から生まれたと思われるが、戦争責任という言葉は、日本と外国では異なるのではないかと思う。

 日本での戦争責任は、戦争という野蛮な人間が引き起こしたもので、その人間の血筋を引く日本人はまた同じ戦争を引き起こすかもしれない存在であり、その戦争への誘惑を断ち切るための自虐的精神であると思う。それは他国に対して責任を述べているのではなく、あくまで自分たちの心に存在する人を殺しかねない衝動を抑えるための呪文のようなものである。

 他国(中国、韓国)が求めているものは、日本が自分たちを苦しめて来たのにもかかわらず、豊かな生活を送り、文明的な生活を送っていることが気に食わないといった部分と、自分たちが日本に負けたあるいは占領されたという事実を塗り替えるために、日本は敗戦を契機に自分たちに頭を下げ続けなければならない国と思う事で自国民のアイデンテティを維持するために使われているのだと思う。

 あくまでもそれは、自国民のために主張しなければならない戦争責任であり、日本人が持つ戦争責任とは違うのだと思う。

 本題に戻れば、戦争責任という言葉は、戦争を起こした日本という国が全く違った国に生まれ変わるしか消す方法が無いという事は間違いない。

 野蛮な言い方をすれば、次に起きるかもしれない戦争に勝ち(開戦するのは日本では無い)戦勝国に成るしかないのであろう。もし、戦争をしないとするのであれば、やはり日本人は日本という国が存続する限り戦争責任という言葉から逃れれないだろう。