統一地方選

 晴れ、気温は8度。春眠暁を覚えずでいつもより遅く目が覚めた。


 札幌も桜の花が咲き始め、これは例年より1週程早いのではないだろうか?春がこれから5月末まで続き6月は時折寒い日が来るけれど夏の準備が始まる月である。この時期急激に景色の中に緑色が進出してくる。それが緑中心の景色に置き換わるのはあっという間である。今はその、緑色が少しあるかないかの土色中心の時期でもある。


 その春めいた時期に統一地方選挙が行われ、選挙カーが何かをがなり立てながら練り歩いている。全くもって圏外の事のように思える。それは、地方政治が身近に感じられない所にあるからである。

 自分たちの一票が議員を通じて地域の生活が変わるという実感が無いからである。そのことは非常に重要な事で、地方からの声の発信が国政に繋がらなければならないのに、実感としてはそこで途切れて何も無い様に見えるからである。

 地方の議員は、あくまでも政党の下部組織で、そこから国会議員まで上り詰める人もいるし、選挙に駆り出され集票マシーンで汗を流す、そんな役割を担うだけのものでしかないと思うからである。

 身近な環境の一部は変わるが、それ程大きく変れるほど地方自治体の財政的余裕はない。多くは、国の補助金を頼りに箱ものや道路を作るだけに存在しているようなものである。

 今後地方自治が変わるには、やはり人物金という3つが自治体に任され、そこである程度自由に事業を起こせる、東京のような存在でなければならないのだと思う。それが出来ない間は、地方自治では無く国の出先機関のような存在でしかないわけである。


 こういった格差社会を解消するには、やはり地方自治体に万遍なくお金が回るような配分方式にするしかない。何時も言っているが本社機能のある東京都だけに法人税が収まるのではなく、地方に再配分すべきだと思う。