24時間営業

 晴れ、気温は11度。

 昨日は、4月にしては気温が高くその影響で一斉に梅や桜が咲きだした。そして何を迷ったか住宅街に鶯の初鳴きが響いていた。まだ鶯も鳴き慣れなくて少し調子がくるっていたのも愛嬌である。


 明日からゴールデンウィークが始まるのに合わせ周囲はざわつく感じがする。ただの祝日の一つなのだがそれが続くことが心理に影響しているのだろう。

 それを迎えるまでの休みに成ったら何をしようと計画をすることが楽しみの一つなのだろうと思う。そうして休みが来るとあっという間に休みは終わり、そのツケを休み明けにこなすことに成るだけである。だから今が一番楽しい時期なのかもしれない。

 そうはいっても人それぞれに休みの貰い方が異なり、皆が休みを満喫している時に仕事をしなければならない職場がある。行楽地の売店やデパートなど休みで人がにぎわう時が稼ぎ時という商売に携わる人々にとってゴールデンウィークは仕事で手が回らないという時期だろう。

 そういう仕組みで世の中が回っているにもかかわらず、昔ならそんな便利な生活は無かったはずであると考えてしまう。商店なども暦通りに閉店し、休みなのにどこもお店が開いていないという時代もあった。それを経験した身にとって24時間毎日営業しているコンビニなどは本当に便利な世の中だと感じる。

 そして、そういう環境で育った若者たちにとって休みの日にもしお店が開いていなかったらどんな感想を持つか興味がある。更にスマホが通じない場所にいったらどうなるかも興味がある。

 便利さが当たり前の環境に育つとその便利さが創意工夫を阻むように感じる。何故なら火を起こすのもボタンを押すだけで良いとしたら、マッチの重要性等に気が付くはずもなく。もし、道具が無い所で火を起こすことが出来なければ生命の危険があるとも感じないだろう。

 更に、スマホさえあれば誰かに連絡して助けに来てもらえると安心していても、大勢の人が同時に被害に会えばそれも不可能になると気付かない。自分だけは守られているという感覚が自分の安全を阻害しているのだと理解していないと思う。


 今の文明が将来も続くとすればそういった環境に慣れた人間が生き延びるし、もし文明が崩壊し原始的な生活をしなければならないとしたら、ある意味文明環境から隔絶した地域で暮らす人間が生き延びるだろう。

 果たして、この先24時間便利に必要なものが将来も持続する国に成らないといけないだろう。