多数決

 晴れ、気温は17度。

 今日は、台風が温帯低気圧に代り通り過ぎた影響から熱い空気を送り込んでいた太平洋高気圧の勢いも収まり、涼しい一日となるようだ。

 突然の真夏日が続き、本格的な真夏がやって来ると勘違いした人も多いだろうが、続いてやってくる台風11号がまた暖かい空気を北海道上空まで押し上げてくるので、週末以降にまた暑い日が来るだろう。17日には日本海側に抜け温帯低気圧に変わるだろうから17日頃から雨模様に成り北海道を通り過ぎる20日以降はまた日差しが戻ってくる。その頃には、小中学校が夏休み期間に突入するので夏休みらしい暑い日が続くだろう。


 昨日の朝日新聞の記事で朝日新聞は、多数決で物事を決める民主主義について疑問を呈していた。

 引用 朝日新聞http://www.asahi.com/articles/ASH766755H76UCVL043.html

「多数決」は民主的な決め方とされてきたが、その問題点をとらえ直そうとする漫画や評論の刊行が相次いでいる。折しも、安全保障関連法案は週内にも衆議院で採決される公算大だ。異なる意見を取り入れながら物事を決めるにはどうしたらいいのか。

 記事のニュアンス的には、多数決が常に正しいという形では書かれておらず、多数決が間違いを起こすこともあるという考えである。

 多数決の解決方法として次のように記事にしている。

慶応大学の坂井豊貴教授(社会的選択論)は、多数決の結果ばかりが重視される状況に危機感を募らせ、『多数決を疑う』(岩波新書)を4月に刊行した。「無邪気に多数決をありがたがるのは、ただの多数決主義。『私たち』をどうにか尊重しようとする民主主義とは違う」

 そもそも「民意」は選び方次第で変わる。

 例えば有権者21人がA、B、Cの政策のどれかに投票するとする。結果はA8票、B7票、C6票。多数決ならAが集団を代表する意見になる。

 だが、Aに投票しなかった全員が「Aだけは嫌だ」と考えていたとする。Aの否定派が13人と過半数なのに、採用されるのはAだ。全員から2番目に支持されても、1票にもならない。「だから多数決で勝つためには、万人に配慮してはいけない。誰かをたたいて対立構図を作った方がいい」

 解決策としてのこの記事の意見は、教授の考えを引用する形で纏めている。


 多数決の歴史はきっと人類がこの地上に生まれた時から存在するものなのだろう。その歴史は古い。その中で何故一人一票の議決権を持つ多数決が続いてそれが主流になって今まで続いていたのだろう。

 上に上げた朝日新聞の記事にある多数決の変法は、人々の意思を反映させるために改良された方法であるが、それが主流にならないのは、人間が曖昧さを嫌うからだと思う。白黒を付ける、丁半博打など何かを決める際の潔さが美意識となっている。

 だから、物事の曖昧さを誘発するような採決は望まないという方が正しい。ただしその件も為政者が利用しやすい方法であるのも確かである。それは、政治家や官僚が自分たちのやり易い方向へ導くためもっと言えば国民を欺くために用いられる。

 そうなると多数決は多数決では無く、始めから作られた舞台で踊らされているようなものである。それは、日本の株主総会が、一見多数決で民主主義で決められたように装うが、本当はそれ以前の根回しの結果で全ては筋書き通りに決まっているようなことである。

 ただ人は弱いもので、自分の責任の及ばない方法を望む。絶対的な君主が居ればその意向に逆らう事はせずその決断に身を委ねることで責任を回避しようとする。そういう生き物である。

 絶対的君主が居ない時に取る方法が多数決である。しかしそれを指揮する者が愚か者の集まりであれば、その多数決は正しい結論を導くとは限らない。それが衆遇政治と呼ばれるものである。