ロシアのアメリカに対しての原爆投下非難

 晴れ、気温は24度。昨日は今年の夏で一番の暑さだった。

引用 朝日新聞http://www.asahi.com/articles/ASH85226LH85UHBI008.html

ロシアのナルイシキン下院議長は5日、広島、長崎への原爆投下は国際法廷で裁かれるべきだという考えを明らかにした。ロシアでは70年を迎える原爆投下について、高官の発言や催しが続いている。米国の残虐行為を批判すると同時に、日本を降伏させたのは原爆ではなく旧ソ連の対日参戦だったという歴史認識を強調する狙いも込められている。

 広島への原爆投下が8月6日、長崎が8月9日、その日を迎える前に出てきた話、ウクライナ侵攻に対する米国の経済制裁の影響もあるだろうし、何らかの政治的意図は当然隠れているはずである。

 ただし、これは正論だと思う。第2次世界大戦時の日本の中国での大量殺戮が非難されるなら、アメリカの民間人をも巻き込んだ大量殺人は非難されるべきである。

 

 それを言うと戦争に係った国のどこも殺人を非難されることから戦争中の大量殺戮は、暗黙の了解のところで見逃されていた。

 世界の歴史を遡れば、いくらでも戦争に大量殺戮が付き物であり、その系譜を辿って現代の国家に対して裁きを受けることが許されるなら・・・という話である。

 戦争責任は、お隣の韓国などは千年続くと大統領は説くが、千年の間に起きた国家間の争いの責任を果たすというのなら人の世は恨みだらけになる。

 そういった事では、未来永劫心を開くことはできないから、日本では「争いを水に流す」という言葉が出来たのだと思う。そうでなければ日本国内でさえ纏めることができないことになっただろう。

 果たしてその期間はどの程度が妥当だと考えるなら、親子3代だと思う。凡そ100年が一区切りと考えるなら戦後70年以降は3代目の時代に入ったと言える。

 ただし、その因縁というべき国家間、或いは今ある国家の地域間でもあるわけで、昔から続く怨念の遺伝子は途切れないのかもしれない。