流行語大賞

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 昨日は、流行語大賞なるものが決まった様で、「爆買い」らしい。これは順当だろうと思う。他の大賞に成らなかったものは、ハッキリ言って微妙である。「トリプルスリー」成るものなどは、本当に流行ったのと思うくらいで、今年の最後の最後でスポーツ新聞の見出しに成った程度のものである。今年一年の流行語に上がること自体がおかしいと思われる。

 こういった大賞は、本当に真っ当な選考を経て選ばれることは無いものに成ってしまった。その一つは、「レコード大賞」である。最初は本当にレコードが売れたことが評価の対象であったと思う。今のように著作権がうるさくなく、ヒット曲は、小さな個人商店の軒先からでも流れていて厭でも耳に残る時代だった。

 それが、徐々に賞を貰えれば専属歌手が売れて、会社の利益につながることに気付いたプロダクションやレコード会社が裏で動き始めると、何でこの人が新人賞の候補になるのとか本当に歌が売れたのは別だったよねと言うものが多くなり始めた。

 それは、フォークソングが流行り始め、それを歌う歌手が体制に与しないことがカッコいいということでノミネートそのものを拒否するようになった頃と一致している。当然ヒット曲はそちら側で、業界側がコントロールできないから自分たちで自前の候補を作り上げようとするとノミネートは、レコードを出していたのという候補が多く成りだしてしまった。

 時代は、本当に残酷である。その後は、全くもって権威は失墜し、大みそかに紅白に対抗して番組を作っていたのにいつの間にか紅白とは別の日に移り、賞そのものの価値は半減したというより地に落ちてしまった。

 賞と言うものの価値は、審査員が選ぶという物の多くは、その賞を作った人たちの影響が必ず入ると思った方が良く、公明正大に選ばれるものが少ないのが現状である。

 だから却って公明正大に選ばれていることをアッピールできる賞ほど希少価値がある。流行語大賞成るものは、ハッキリ言って何の価値も生み出すことは無い。何故なら選ばれたが最後もう既に過去のものと認定されてしまったようなものだからである。ブームは既に終わり、これからそれで売り出すこともできないからである。