将来の選択

 曇り、気温はマイナス4度。薄らと地面に雪が積もった状態。

 参議院選挙が控えているためにそろそろそれに向けた動きが慌ただしくなってきた。一つが、政党候補者のチラシ類である。また、候補予定者の看板が目立ち始めてきた。

 将来の日本を考えなければならない時期なのだが、日本のかじ取りを任せられる政党が無いといって良い。景気がよくそれなりに日本が回っている時は、冒険をしても良いと思えた時期もあったが、徐々に日本の先行きが不安になり、中韓反日行動が目立つようになれば、それに反応せざる負えなく、日本自体が保守化の傾向を増している。

 またギリシャのデフォルトでは無いが、国家破産の危機もこのまま赤字財政が続けば現実の問題となる日がやがて来そうな気がする。そうなった時日本を助けてくれる国が、ギリシャに対するEUのような存在があるかと言う事である。ただし、その対象が国対国と言うような関係であるため、個人の考えの範疇を超えている。

 また、高齢化社会の到来は年金問題を抱えているし、社会保障の膨張と言うのも抱えている。それを支えるべき現役の労働者は減少し、若者の世代が高齢者に成った時にはその財源が枯渇してしまうのではないかとも予想されている

 そういったものが色々合わさって、明るい未来を想像できない国に成って来てしまっている。もしかすると30年後の未来は、人間は長生きするべからずという時代が来てしまっているかもしれないのだ。

 もし今から未来を変えられるなら変えたいのだが、今取るべき行動の正解が判らない。SF映画の様にタイムトラベルや予知などの能力が発揮できる世界ならいざ知らずそんなことはできるはずもない現実に生きている身として、右と左の選択肢でさえ危ういのに、その選択肢が増えれば増える程、決断できなくなるし、決断したとしても何の根拠のない決断となる。

 目先の利益を追えば追うほど行動は一貫性を欠き、周囲の信頼を失っていく。それが続けば続くほど体力を失い精神力をも奪っていく。

 先の未来に向けてこうすべきだと提言できる人は大勢いるが、その結果が正しいと保障できる人間は存在しない。その選択は全て予想であり、予想は、結果を伴わないこともあるからである。

 あの東日本大震災が日本に来なければ今頃また違った日本の風景があり、その中身は異なっていたかもしれない。そういった大きな出来事がまた日本を襲うかもしれない中で、将来の選択肢で間違いないものを選ぶことは不可能であり、選択する際さいころを振って決める方が気楽なのかもしれない。