情報を操作するもの

 曇り、これから晴れてきそうな天気である。気温は12度。


引用 時事通信http://www.jiji.com/jc/article?k=2016051301001&g=spo) 

2020年東京五輪パラリンピック招致に絡み、東京側から国際陸連関係者へ多額の支払いがあったとの指摘について、招致委員会で理事長を務めた日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長は13日、取材に応じ、「代理店との正式な業務契約に基づく対価として支払った」と述べ、コンサルタント料支払いとしての正当性を主張した。国際オリンピック委員会(IOC)にも報告した。

 この報道について、日本国内では殆ど続報が無いし、ニュースでも大々的に取り上げることは無い。この構図は、パナマ文書の時と同じである。何らかの火消し的アリバイ作りのために報道はするが、決して大きなスキャンダルにしてはならないという不文律が大手マスコミにはあるようである。

 だから、つい最近話題となっている舛添氏の問題も急に話が大きくなっているのは、国民からの視線そらしのように感じてしょうがない。傍から見ればどうしようもない都知事なので世間の非難を浴びて辞職するのは致し方ないが、一連の流れを見るにつれ本当に大事なことは、すぐ闇に取り込まれてしまうのだろう。


 こういった問題の切っ掛けは、やはりウィキリークスが世界を変えたのだと思う。それは、世界中の重要な情報をコンピューターを使ったネットワークに保存するという習慣が広まったことに起因する。

 もし、紙の文書がデータ保管の第一選択だとしたらこういった現象は起こりえなかっただろう。しかし、人間の本能は、何時か見るかもしれないという予測から何かに記録しておかなければならないと必ず思うことである。いつ見るかもわからない記録を紙という記録媒体ができたときから始めたのである。それが、紙からネットワークに変わった時から、情報がどこかに伝搬する可能性を人類に与えた。

 そして今に至る。人間がため込んだ情報は、何時か整理され必要な人に伝わるようになった。そこに、今まで秘密にしておきたかったことが暴露され、闇から闇に葬り去られていた情報も白日の下にさらされる。

 今回の波は、日本の社会を変える切っ掛けになると思う。マスコミは、言われるままなのか阿吽の呼吸でなのかわからないが、大手広告代理店の関与を表に出さないように努めている。

 名前が出てくるのは、ユニクロ、セコム、UCCソフトバンク楽天、および総合商社の名前だけで、大手広告代理店の名前は前出の会社の陰に隠れるように存在する。

 そして、今回のオリンピック招致に深くかかわったのもその大手広告代理店で、そこ経由でコンサルタントといわれる会社に現金が渡っている。不思議なのは、オリンピック招致委員会が関わったことになっていて、コンサルタントに依頼したと公表しているのにも関わらず誰がその陣頭指揮をとったのか不明だということである。

 今回、釈明している竹田氏にそういったコネがあり組織的に動いたというより、そういった裏工作に通じた人物あるいは組織に招致の裏の部分を丸投げしたというのが本当のところだと思う。そしてその本当のところにあるのが、大手広告代理店ということだろう。


 下種の勘繰りというか素人考えなのかもしれないが、日本国民に与えられる情報が、お隣の中国のようにあからさまではないが操作されているように感じる。必要な情報を必要な人に本当に与えられているのか疑問に思わざる負えない。

 そして、その感覚というものに疑問を持つ人が大勢存在し始めたと言って良い。かってそんなことを言うと陰謀論だと一笑に付されたが、世界の情報をアメリカはエシュロンというシステムで収集を行い、アメリカを守るために始めたその行為は、何時しか他の用途にも使われた疑いがある。

 そして、同じように日本国内の世論を動かすのにマスコミを利用すると考えた人間はいただろう。そしてその結果として、一部の利益享受者のために情報を操作してきたのだろう。

 しかし、マスコミはその役割を半減させようとしている。マスコミがいかに自分たち村社会を守ろうと行動してきたかインターネットの普及で明らかになってきた。そして、その多くの利益を得るのが一部の人間だということを。

 今回、大手広告代理店の名前がなぜ表に中々出ないことの理由がネットの中では、公然の秘密となっている。今回の騒動に限らず、情報を操作しようとして却って墓穴を掘る事例が増え、徐々に世間から信頼を失っていくだろう。

 それは、情報を操作しようとした人間に対するしっぺ返しのようなものである。数年前とは明らかに違うことを今まで利益を享受してきた人間は知るべきだろう。

 

 この先の未来は、情報を操作しようとする権力とそれを破壊しようとする勢力との争いになるだろう。それが、正義なのかそうでないか分からないまま。