燃費データ不正

 晴れ、気温は13度。昨日と同じくらいの気温なのだが、風がやや強く吹くので体感では10度以下に感じる。

 

引用 中日新聞http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20160519/CK2016051902000119.html) 

スズキは十八日、現在国内で販売している十六車種すべての燃費データについて、二〇一〇年ごろから、規定と異なる方法で測定していたと発表した。対象は他社に供給している分も含め計約二百十万台超に上る。鈴木修会長は東京都内で記者会見し、「定められた測定方法を用いていなかったことを深くおわびしたい」と謝罪した。

三菱に次、スズキも燃費データの不正を明らかにした。

 この燃費データの測定について、基本となる測定値は製造会社から提出されるため、いわゆる製造会社は、不正なデータを提出しないという性善説で行われた。

 この国に提出するデータに不正はないという前提は、他の多くのデータでもいえることで、建築基準審査の書類なども嘘の図面は提出されないという前提で審査される。医療でもレセプトデータなどは、人為的操作はないという前提で審査されるものである。

 こういった、国に提出される書類に偽装はないものという前提で公務員や官僚は動くため、悪いのはそれを見つけられなかった自分たちではなく、偽装したデータを提出した本人たちが悪いという理屈で、そもそもそういった仕組みを作り上げた役人に責任があまり行かないようにできている。


 今回も、あくまで国交省は、自動車メーカーの責任で自分たちは正式な測定方法でデータが提出されたと信じて審査をしたと言い張るだろう。しかし、当然こういった方式を変えていく必要があるということで、国の審査を厳しくするための組織を作ることになる。

 役人にとって棚から牡丹餅の結果になるわけである。民間会社が不正をしたため審査方法に問題があると非難されたとしてもこれで天下り先が一つできた。不正様様である。


 長年こういった仕組みを続け、あるメーカーが机上データを提出して審査をクリアーしていると知ったら。自分たちもその方法を取りたくなるのは、人間の性である。まさしく人間の本質は性悪説でそれを表に出さないと努めていた理性が破られる。一度提出したら最後、今まで以上の性能データを出すのは至難の業となる。もともとあり得ない性能を宣伝してしまっているので新開発の装置がその性能をクリアできるはずはない。

 クリアするには、また机上の理論値を操らなければいけないことになる。ライバル会社が自分たちの性能を追い越せば更に追い越すデータを作り出さなければならないという輪廻の歯車を回し続けることになる。

 この件は、本当に人間の本質をあらわにする事件である。善と悪の境界に大きな壁は無く、有ったとしてもその壁は理性という薄っぺらで儚いものである。容易に乗り越えることは可能である。乗り越えたからといってずっと悪に染まり続けることを防ぐために、人間には精神の葛藤という安全弁を備えているためまた善に戻ることも可能である。

 今回の偽装を告発できたのも人間の中にある善への葛藤がそうさせたということである。しかし、この善もいつ悪にまた変わるかもしれないところがまた人生なのかもしれない。