舛添氏問題

 晴れなのだが、少し霞がかったそらである。気温は14度。


 舛添都知事の釈明は酷いものだった。しかるべき第3者機関の調査も本人が言うべきことを代弁しただけ、時間稼ぎの何物でもないし、第3者に違法性が無いということを言ってもらいたかっただけである。

 この茶番劇も脚本家が舛添氏以外にいるのだとしたら場末の劇場にもかからない程の出来栄えである。まあそれでも三文役者を弁護する筋書きならこの程度の出来にしかならなかったのだろうが、あえて弁護するならお涙頂戴の筋書きを加えたかっただろうが、ネット社会で下手な物語を追加しようものなら調べられ真っ赤な嘘だとすぐ見破られる。だから敢えて全く面白みのない筋書きにせざる負えないのだろう。

 しかし、この時間稼ぎの間、彼は一体何を企てていたのだろう。もしかすると何か別の証拠隠滅を図っていたのかもしれない。例えば東京オリンピックがらみの何かがありその証拠隠滅を図っていたのかもしれない。まあ彼のことだからただでは起きない筈で何かあるのだろう。


 今回の政治資金の件、東京都議会が慎重なのは、お互い脛に傷を持つ身だからだろう。舛添氏の政治資金不正流用が不適切というなら自分たちの政治資金の使い道はどれだけ透明なのということの裏返しで、正に天に唾する行為に等しい。

 攻撃をすればするほど自分たちのことを責めているのと同じ構図になるからで、もし本当にこの問題に終止符を打ちたいのなら政治資金の使途を追求するよりも都知事として不適格な行為を見つけて攻めるしかない。その不適切行為も上がらなければ舛添氏と一蓮托生になる可能性もある。

 政治家の政治資金問題、何時も話題になるが受け取る政治家自身にその使い道のルールを決めさせるのは盗人に追い銭でしかなく、政治資金のルールは別な機関が決めるべき時期に来ているのだろう。このまま、見苦しい行為が次々と明らかになればなるほど政治家の世間の見る目が冷たくなりひいては民主主義の崩壊につながっていく。少なくとも政治家はその自覚を持つべきで、政治家ではなく政治屋に自分たちを貶めることのないようにして欲しい。