高齢化

 曇り、気温は15度。日中は晴れそう。

 すでに参議院選挙は告示されたが、昔のように宣伝カーが走り回る光景は減った。北海道は特に選挙区が広く昔のように地元密着の選挙戦ではなく組織主体とした選挙活動を行うようになり選挙カーが目立たなくなったともいえる。

 だから主だった候補者は、各市町村の後援者が開く街頭演説や集会で話をして直ぐに移動するという行動をとることが主になった。いくら選挙カーで名前を連呼してもその人がどういう人物かわからないのに投票してみるという人はさすがにいない。


 今回から18歳以上に選挙権が与えられ、彼らがどういった行動をとるかで選挙結果も変わってくるものと思われる。比較的若い世代は非保守的な行動をとる傾向にあるが、彼らにとってはこれから先60年以上の未来を託すことになるわけだからまじめに考えて行動することが大切だろう。

 はっきり言ってしまえば60歳以上のこの先せいぜい2,30年生きる世代がこの先100年のことを決めるのはおかしいと思う。今生きている世代も必ず年を取りその時の老後を心配してしまうが、老人の生活を大切にするよりも子供世代の充実を図る方が余程日本の将来のためになるのは明らかである。

 今後日本が迎える超高齢化社会は、必ず日本の社会構造を変えてしまう。年寄りの人数が多い分、老人の社会福祉に重きをおきがちになるのは間違いない。もし年寄りを大切にするのならそれと同様に子供たちを大切にするのが平等社会というものだと思う。

 電車や地下鉄の優先シートではないが、年寄りを労わるのは大切な心構えと思うが、その代わり年寄りは礼節を知り他の模範となる行動をとってこそ敬れるはずである。その行動をとらずこの先の短さにわがままを言って暮らすことのないようにすべきなのだろう。

 年をとれば人はすべて偉いということはない。一人一人がどう生きるかによってその評価はかわる。晩節を汚さず粛々と舞台の袖に隠れていくのが正しい生き方だと思う。

 だけれども今の世の中、老人のパワーには恐れ入る。一向に表舞台から去ろうとしない。却ってその下の世代が余りにもひ弱すぎて取って代わることができないだけだとしたら、そして彼らがこの舞台から去るころにはそのあとに続く世代はスポイルされてしまうのだろう。