教育勅語問題

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引用 日本経済新聞http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS08H4W_Y7A300C1PP8000/) 

稲田朋美防衛相は8日の参院予算委員会で「教育勅語に流れている核の部分は取り戻すべきだと考えている」と述べた。稲田氏は教育勅語の精神は「日本が道義国家を目指す」という点にあるとの認識を示し「教育勅語自体が全く誤っているというのは、私は違うと思う」と語った。

 きっとこの記事を読んだ人は、そもそも教育勅語というのは何かということ自体知らないだろう。別の意味で教育というのは恐ろしい。お隣の韓国が反日教育を小学生から行っているとう事実があるが、小さいころから植えつけられる記憶は消すことはできないだろう。

 戦前の日本で取り入れられた教育勅語は戦後アメリカ軍の占領とともにきれいに消え去った。戦後の教育を受けた人はその言葉さえ知らあいだろうし、旧仮名遣いの文章は目にしても読む気にはなかなかならない代物である。

 そこで知らないから調べるという人間の本能が目覚めるのだが、早速Wikipediaを開いてみた。

 教育勅語は正確には「教育ニ関スル勅語」という。

引用 Wikipedia

朕󠄁惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ

我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス

爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ德器ヲ成就シ進󠄁テ公󠄁益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ

是ノ如キハ獨リ朕󠄁カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺󠄁風ヲ顯彰スルニ足ラン

斯ノ道󠄁ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁

之ヲ古今ニ通󠄁シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕󠄁爾臣民ト俱ニ拳󠄁々服󠄁膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ

明治二十三年十月三十日

御名御璽

 この文章の意味は、それぞれで理解する必要がある。

 

 以下は自分の解釈によるところである。

 この時代背景から考えるに、この文章が作成されたのは1890年(明治23年)である。江戸幕府尊王攘夷を掲げる勢力により転覆し明治政府ができた。ここが大事である。世の中がようやく武家社会から脱却し天皇制に移行し定着し始めた時期である。その時に発せられたものであるから天皇制が唯一の国の基本となるのは当然のことと思う。

 天皇制を維持するために(言い換えれば国の成り立ち)この言葉を国民は真摯に受け取り励むようにという部分を除けば、文章としては真っ当なことを国民に求めたものである。

 そこで問題となるのは、天皇制という唯一のものを守るために書かれているため、これを天皇に対しての絶対服従を求めると解釈する一派に利用されやすいものであるということである。

 もし、これが天皇制の部分を省いてしまうあるいは、民主主義に置き換えて考えると判りやすいだろう。主語を重要視する考えがあれば、天皇制維持のために自己犠牲を求める根拠にもなりうるということである。

 稲田さんが教育勅語の核となる部分が天皇制の維持なのか、それともそれを外した部分なのか新聞記事からはどちらかとは言えないが、答弁の仕方を考えると後者と思われる。

 同日の朝日新聞の記事には、

「日本が道義国家を目指すというその精神は今も取り戻すべきだと考えている」と述べた。

と書かれている。

 では、何故教育勅語という言葉に過剰に新聞社が反応したか?あるいは不適切な見出しにしたかということである。そもそもの発端は今話題も森友学園問題である。幼稚園児に教育勅語を読ませるというのが話題になり、その部分から派生した質問である。

 戦後の教育は、教育勅語の全否定から始まった。その中身を知らないまま教育勅語は戦争を呼び起こす文章だと国民に刷り込みを行い、国民がその言葉を口にすることを憚るような雰囲気を作り上げた。

 きっと戦後間もない時期だと、多くの国民が教育勅語を暗記し記憶に残っている時期であったためその記憶を消し去るためには重要な方法だっただろう。しかし、現代の国民の多くがその言葉を忘れてしまった現在、脊髄反射的にすべてが悪いと全否定することの異常さを気付かなければならないと考える。

 戦争の全否定から始まった戦後の日本は、既に70年以上経った。その中で、その否定された歴史の中に浮かび上がる亡霊を怖いものだから近付けるなというだけで全否定することに疑問をもつのも確かである。

 

 この質問をした福島さんも戦前の教育を受けていないと思われるのだが、今回の質問の意図は、稲田さんが戦争肯定派だということを印象付けたいために発した質問だと思うが、そういったレッテルで自己判断を停止させることに何の意味があるのだろうかと思う。時は、流れているのである。

 ある意味、この教育勅語という言葉を出さなければならない戦後日本は、何を目指して子供たちに教育を行ってきたのか逆に疑問がわく。もし、この天皇制の維持のための部分を除けば至極真っ当な教育論であるから、これを全否定した教育というのは存在しないし、もし存在するとするなら社会に不適合な人間を作り上げる教育になってしまうのではないかと思う。

 フェイクニュースが話題であるが、もしこの教育勅語が否定的な文脈で使われるとしたら、教育勅語を紹介する記事も必要だろう。それを元に教育勅語を正しいという大臣は戦争主義者だという記事にすべきだろうと思う。

 フェイクニュースとは言わないが、明らかに読者に対するミスリードを惹起する記事である。