WELQ

 曇り、気温はマイナス4度。

 今日の日中気温は5度と予想されているので、雪解けはもっと進むだろう。家の庭も一部排雪したので芝生が顔を出しているがそれだけで何となく春を感じている。

引用 日本経済新聞(http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ13I5C_T10C17A3000000/)

ディー・エヌ・エー(DeNA)は13日、キュレーション(まとめ)サイトに関する第三者委員会の調査報告書を発表した。著作権侵害や倫理的な問題が数多く明らかになり、委員長の名取勝也弁護士は「事業拡大や経済的利益にのみ着目した」とDeNAのキュレーション事業の運営に問題があったと指摘した。南場智子会長は事業再開について「白紙」とした。

 この問題、取り上げているのは一般紙のみではなく、IT系の情報を取り上げているニュースサイトが多い。その部分で根元は同じである。海外、国内のニュースを取り上げ解説を付加して記事として載せる仕組みは共通しているからである。

 その手法は、一歩間違えば今回の「WELQ」と同じような指摘を受ける可能性があるからである。そこは、やはりけじめとして同じ業界仲間と言えどライバルであるし、火の粉が降りかかってくる可能性が今後もないわけではないためという理由があるだろう。

 今回のWELQ問題を詳細に取り上げているのが、GIGAZINEである。

昨日の日付で「DeNAの「WELQ」の恐るべき運営実態・記事作成マニュアル・ブラッシュアッププロジェクトなどがわかる300ページ突破のすごい調査報告書がダウンロード可能に」と題して詳細を報じている。

 その内容を読むと判ってくるのは、論文の切り貼りの手法である。それは、インターネットで情報が氾濫すると同時に起きた卒業論文のコピペである。最初のころは、丸ごとコピペというのがあり、更にそこから検索でインターネット上に同様の文章が無いか検索できるようになると、それを切り抜けるために切り貼り加工という技術が出てくる。今回のWELQの記事作成は、同様のルーツを持っている。誰もが考えそうなことを実際に大規模に行ったということである。

 そういった手法は、今回問題となったWELQ以外にもインターネットを検索すると色々出てくる。多くは芸能人に関する情報サイトである。いわゆるどこかのニュースサイトからの切り貼りを主に行い、見られることで広告料をせしめるビジネスである。

 更にそれを明らかに自動で行っているサイトも登場した。その手法は、記事の一部にどこかのニュースの見出しを自動的に張り付けるという手法である。誰しも検索するときに短いセンテンスを使う。そして扱うものは大々的に報じられるものでは無くローカルな事件事故を載せそれに関する情報が少ないものに技としていると思われる。

 そうすることで検索上位に上がり、その記事が表示されやすいようにしているものと思われる。その辺りは、例えGoogleが検索ランキングの手法を変えようともそれに関する記事が少なければ必ず上位に表示される。

 ただし、その事件事故は特殊であるためそれほど検索される率は低いが塵も積もれば山となるという方法だと思う。正し、中身は何もないのでそのうち内容が無いということで検索に上がらないようになるのだろう。

 インターネットで外で働かずに食べていけるようになるにはそれなりの努力が必要で、切り貼りでせっせとページを作成しても誰も訪れなければ収入は得られない。そこで大規模にやればやるほど大勢の人の目に触れその記事の信用性が疑われてしまう可能性が増大する。

 例えばこのように人のふんどしを借りて商売することを禁じるなら、多くのニュースサイト、まとめサイトは消え去ることになる。そういう意味でその商売のタネを失うことのないように不適切なサイトを自分たちで監視し減らしていく努力が必要である。

 昔なら、嘘記事が大半の雑誌が書店に置かれていた。それは、そういった嘘記事を楽しめる読者が購入するという不文律が存在した。しかし、いんあたーネット上では、嘘記事と取材記事が同じ土俵に並べられているうえに、嘘記事でも検索し訪れる人が多ければ上位に表示されるという、今まで内輪で楽しんでいたものが大勢の人の目に触れるという状態になってしまった。

 更に悪いことに、嘘記事を嘘と見抜けないことが多くなってきている。それはすべてがでたらめではなく真実が紛れ込んでいるため嘘も嘘と気付かせないようになっているからである。

 情報リテラシーという言葉があるが、情報は無料ではない。誰かが情報を集めそれを無償で公開するには限界が存在する。もしニュースを取材し現場に足を運ぶ記者が居なくなり、全て机の上だけで記事が作られるとしたらこの世に真実のニュースは存在しなくなる恐れがある。

 我々が真実のニュースをこの先も手に入れるようにするためには、どのようにすべきか考えなければならない時が迫っている。