辺野古

 曇り、気温は6度。昨日の雨が水たまりになっているのでその上を吹く風は冷たい。

 最近のニュースを見ていると何が真実で何が真実でないか見分けるのは大変である。

引用 琉球新報http://ryukyushimpo.jp/news/entry-485294.html

米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の移設計画を巡り名護市辺野古沖で政府が25日に護岸工事に着手したことを受け、沖縄県は工事による海底の岩礁破砕行為が確認された時点で直ちに工事の差し止め訴訟を提起する方針を固めた。1~2カ月内には差し止め訴訟を提起し、工事停止の仮処分も申し立てるとみられる。

 沖縄県翁長雄志知事は25日午後、県庁で会見し「事前協議に応じず強行したのは許し難い。サンゴ礁生態系を死滅に追いやる恐れがあり、環境保全の重要性を無視した暴挙だと断ぜざるを得ない」と厳しく政府を批判した。撤回時期は明示しなかった。

 この問題、根は同じだと思う。

 自分たちが暮らしている家のそばの公園で何やら工事が始まり、植木から芝生まで重機で剥しはじめた。今まで目の前に公園があり見晴らしが良かったところへ風景を台無しにする工事である。それはうれしい筈はない。

 更に問題なのは、その公園の中に保育園を建てるらしい。今まで日中静かなところに子供の甲高い声が響くと思うと昼寝も満足にできない。建設反対だし、公園を元に戻せ。理由は自分たちの今までの環境を変えてしまうからである。

 似たような話が最近もあった。

 

 日本という国が少子化状態になり、子供を増やす環境づくりをしなければならない。公共の利益のためのという理由がある。そこに出てくるのは、個人の権利をあくまでも守ることを優先するか、それとも国のために個人の権利は制限されるかということである。

 そういった問題が、沖縄の問題のように大きなものから、並木の木を切るなといった小さなものまで溢れている。公共の利益が優先するが、それによる個人の権利の制限は最小限にとどめることが優先されるべきであるが、個人の利益を優先させるとそれによる国民の利益が失われるならやはりそういった制限が必要である。それを判断するのは、行政府なのか立法府なのか司法なのか今の日本では不透明だ。

 沖縄の問題は、沖縄だけで決められるものではなく国の判断も求められていることが更に複雑化しているといえる。更に米軍の基地としても地の利から言えば北海道の山の中に作るより補給や隊員の福利という意味で比較するまでもない。

 更に思うのは、辺野古を埋め立てることに対する沖縄県民の声をマスコミが全て正しく伝えているかという疑問である。誰もが正しく判断できない問題を誰が正しく伝えてくれるかということである。

 やはりマスコミが公共のために公平な報道に努めることが信念としてもやはり自社の考え方というものが当然存在する。その考えに沿う報道をしないわけがない。沖縄の基地問題に反対の意見は記事になるが、基地に賛成という人の意見は記事になりにくい。そのため沖縄県民の100%は基地問題に反対であるというような印象を受けるが、実際、基地に賛成の人が少なからず存在するはずである。そうでなければ沖縄の国会議員や市長など全て反対派で占有されている筈だからである。

 すべてのものには表と裏が必ず存在する。日の当たるところだけで人は生活していない。それと同じように人が発する言葉も当然裏と表があり、全て心の内を明かして話す人はいない。

 そのことを踏まえてマスコミは報道しているならまだしも、自分たちはお日様の当たるところしか見ていない。正義の使者であるかのような記事の書き方にも疑問は残る。

 本当の真実はどこに隠れているのだろう。