高校野球に対する過保護性

 曇り、霧雨が時折降る。気温は18度。少し寒いが半袖で充分である。

 今、夏の高校野球が始まっている。朝日新聞など高校野球の話題でスポーツ面は盛りだくさんである。その中には高校球児の浪花節的話が盛りだくさんである。これに関しては、高校スポーツは高校野球だけではなく数多くある。高校球児の話題の10分の1くらいでも良いのでそういった部分を掬い上げても良いと思う。

 実際の高校球児が全て健全な生活をしている訳もなく。皆が通過した高校時代のことを思えば羽目を外す輩も多かったと知っている筈である。だけれどもそんなことは書かない。更につい最近高校サッカーで監督が暴力をふるう指導を行っているという記事が高校野球の記事の中に唐突と思えるように書かれていた。

 暴力的指導と言えば高校野球もそうだろうと思うのだが、自分たちが主導する野球大会が始まっているのでそこに掛かれるのは他の部活動であるわけである。指導という名のしごきを繰り返す野球というスポーツは、一種の聖域らしいのである。

 本当に日本全国の中から選ばれた代表の上澄みを掬って記事にしている訳で、そこに隠れた色々な泥水のようなところは避けるように記事にする姿勢は、不正をただすという朝日新聞の主張に程遠いと思う。

 その美辞麗句に感動を覚えるのは、熱血スポーツ漫画が好きな人たちだと思う。まあ真実を書けば書くほど自分たちが応援する高校野球が衰退すると思えば筆も鈍るのは良くわかる。しかし、その構図は、自分たちが指示した民主党の影を暴かず温かく見守った姿勢とそっくりな構図だと思い当たるわけである。

 自分達が支持するものは例え闇が見えようとも美辞麗句で覆い隠す。一方、自分たちの意向に反するものは、例え白くとも灰色あるいは真っ黒にしようと努力する。どうしてそのような姿勢の報道に素直に素晴らしいと褒めたたえる人が増えると思うのだろうか甚だ疑問である。

 全くもって日本の新聞社がこれ程幼稚だとは思いもしなかった。良識良識と自分たちは思っているのだろうが、その高慢さが本当に鼻につく。

 

 一度、自分たちの書く記事を冷静になって見直してみる。反対の視線で見てみるといった覚悟が無いと公正な記事は書けないだろう。そういった気構えが不足している彼らの中にある高慢さが記事を曇らせているのだと思う。