衆議員院選挙始まる

 曇り、気温は8度。徐々に週の平均気温が下がってきている。この辺りで止まって冬を過ごせればよいのだが、そうはいかない。

 

 衆議院選挙が公示され、新聞の紙面も公職選挙法に引っ掛からないような紙面の作りになる。その一つが選挙区ごとの候補者の話題は平等にするということである。

 マスコミは、また弱者と呼ばれる人の声を一生懸命拾おうとする。そうすると日本は何て悲惨な状況なのだと思わされる。それは、そういった情報しか流さないからである。

 普通の暮らしをしている人の話題は面白くないのと、リッチな暮らしをしている人のところなどへは取材にもいかない。本当に紙面を読む人がある意味自分の生活は、幸せなのだと実感させる話題である。

 社会的弱者の話題を取り上げるのは社会的には必要だと思う。無ければその人たちが救われないからである。そういった報道にケチを付けたくはない。

 しかし、今は日本の将来を決める衆議院選挙の期間中である。日本がどうあるべきか判断す材料として、やはりそれは片手落ちだし、選挙への干渉だと思う。有権者の選択肢を狭めかねない。冷静な判断を求めるには、そういった扇情的な話題を抑え今までと今後の社会的に必要なものは何なのかという選択肢を与えるデータを提供すべきだと思う。

 国が求めるべきは、国民の最大幸福である。国民の大多数が日本で暮らしてよかったと思える政策と、それを維持するための国民負担の在り方を考えるべきである。言うなれば、国民生活の向上は、富の再分配の仕組みをある程度平等に行えることだと思う。同じ労働で同じ対価を受け取れる社会的仕組みが構築されなければならない。

 この選挙で問うべき事柄が、どうしても善対悪、あるいは白と黒というような判りきったものを前面に出てしまうため、本来同じ政策なのに言うべき人が異なる場合や政党が異なるだけで全否定されるものではない。

 投票までの短い期間に、有権者に与えるデータの偏りを生むのは、やはりマスコミが多くの雑音をまき散らし国民の注意をそらしを行っているようにしか見えない。

 自分の一票は何万分の1の価値しかないかもしれないが、やはり冷静に政策を判断して投票するしかない。できるなら投票する方たちは、立候補者の選挙公報などをよく読むと良い。ある程度候補者が何を考えているかその文面からうかがい知ることが出来る。あれを書いている人は候補者とは別の人かもしれないが、公約は大事である。