憲法改正

 曇り、気温は4度。昨日よりは暖かい。

 

 22日は衆議院選挙の投票日である。争点は何かというと憲法9条の改正なのだろうが、実のところ野党の目的とするところは、自分たちの政党の生き残りである。更にそれをはやし立てるマスコミの目的は安倍総理の退陣である。

 

 憲法9条の改正は、自民党の昔からのテーゼである。戦後アメリカの占領下で定められた憲法に対して与えられた小野という意識が強いのだろう。

 憲法が目指す世界平和は、非戦を世界に我が国が主体となって進めるという理念がある。戦争を放棄するというのは、日本国憲法の理念を達成するための手段として必ず持たねばならない。

 自民党の今回の改正案として、その筋が通った部分に自衛隊を継ぎ足そうとしているのが付け焼刃のような気がしてならない。憲法を素直に解釈すれば、自衛を含めて武力を持たないと考えるのが普通で、戦争のない世界を作るために日本はこれを放棄するということなのであろう。

 そもそも占領下の日本で占領軍の監修の元作られた憲法であるから、敗戦国日本がまた再び戦勝国に対して武力で歯向かうことを許さないという意思で書かれていると思う訳で、その理屈から言えばこの憲法が起草された時の心情として武力を持たずに君たちは平和を獲得することに全力を尽くせという訳である。

 日本国憲法の中でうたう日本の理想像を現実化するための道筋の中に、自衛隊という文言を入れるというのはいささか節操に欠ける。

 この憲法は、日本人に対して、武器を持った侵略者に対して素手で立ち向かうか国連という組織を使って仲間が寄せ集まって立ち向かえといっている。この憲法の下では素手で立ち向かうことは許されていると解釈してよい。

 

 自分は、この日本国憲法の理想の世界を求めるすがては嫌いではない。どんなに優等生の作文と言われようとも世界の平和に向かって日本国民が協力して努力する姿は美しいと思う。それは本当である。

 何故、自民党が9条の条項に自衛隊を明記するかといえば、今の9条の解釈では先ほど書いたように武力の範疇に自衛隊も含まれる恐れがあると考えているからである。そこにあるのはやはり不安なのである。

 そこで堂々と自分たちが憲法違反をしている訳ではないと確実なものにするためにその言葉が必要なのである。我々が持っている武力を振るわずして相手に立ち向かうことはできないと考えている人たちの確たる説明が必要なのである。

 では、憲法9錠だけ修正することが可能か?

 そもそも論として、日本一国の力だけでは世界平和は永久に獲得できないことを日本国憲法も認めている。確かに日本一国で世界征服が出来ればそれも可能かもしれないが、今の世界情勢を考えると不可能という一言しかない。

 もし改憲するとしたら全ての条文の見直しが必要である。9条の手直しだけでは済まない。直すならすべてを見直す必要がある。

 しかし、それをする間にも世界情勢が変わり、いつまでも日本だけが武力を放棄するわけにもいかなくなったのも確かである。今回の北朝鮮のミサイルにしてもそうだが、中国、韓国も一筋縄ではいかない。更にロシアも輪を掛けて危険な存在といえる。

 その中で対等に渡り合う覚悟を決めるためにも何らかの武力が必要で、そのための自衛隊なのは間違いない。我々が手にした武器は自衛のために使うといっているが、一端手にした武器が自衛のため以外に使われる可能性は無きにしも非ずである。

 

 相手に突き付けられた刃に対して、言葉だけで相手の攻撃を防げる可能性は低い。もし一度は成功したとしても、2度3度通じるものではない。世界の歴史を見ても平和主義の国が武力で攻め落とされるのは常である。

 幾ら他の国に頼ったとしても、裏切りはつきものでそれによって滅ぼされる国もある。それ程、平和を維持するのは大変な努力が必要なことなのである。

 できることなら、平和的話し合いと背中には護身用の武器を隠し持っているというのが普通の考えなのではないだろうか。武器は何時でも使えるようにしておかないといざとなったら使えないものなのだから常日頃の手入れが大切である。

 

 我々が、如何に安全に暮らしていくか、武器を見せびらかせばケンカ相手との間で何らかの被害に会うのは当然で無傷で収められることは無い。自衛隊があるということで何らかの被害を被るが、武力を放棄した戦いで占領されるよりも被害が少ない可能性がある。

 やはり一つ問題なのは、武力を維持することはやはりお金が必要で、相手が強力な武器を所持した時には、こちらもそれに対抗する防具や武器なりを備える必要があるということだろう。あともうひとつ言えば、悪意のある権力者が国民を支配するためにそれを利用してしまうかもしれない。