自然の驚異

 晴れ、気温はマイナス15度。昨日の猛吹雪が一点さわやかな青空が広がっている。

 天気図をいると宗谷岬に向かって強い低気圧が移動している。その影響で今日から明日にかけて南風が入り込み石狩平野は雪雲の影響で大雪の恐れがある。

 昨日は、白根山で噴火があり噴石で一人が死亡するという事故があった。これは全くもって予想にしていない状況で被害に会われた方は気の毒としか言いようがない。東京の雪は事前に予測できたが、今回の火山噴火は予想できない自然災害だった。

 自然を相手にすると、幾ら準備をしていてもあるいは安全と思っていても裏切られることがある。それに対して天を恨むしかないところが厄介である。誰か相手があるならそれに対して怒りをぶつければ良いが、自然に対して幾ら怒りをぶつけてもそれに答えてくれるものは何もないところが厄介である。

 何時も通りに暮らしていると、あたかも社会の全てを人間がコントロールしているような錯覚を覚える。社会生活が楽に送れるように自分たちが整備したことで安心しているのだが、そのいつも隣り合わせにある自然というものが突然人間社会に牙を向くようなふるまいをすることがあることすら忘れてしまうのである。

 確かに自然に影響で自分の予定が狂わされることが日常あるので、薄々は感じているのである。自分たちが自分でコントロールすることができない何かに取り囲まれていることを、しかし、そのことをあくまでもイレギュラーなこととして素通りしてしまっているのである。

 

 そうでなければ、何時も自然の状況の変化に怯えまともな生活を送ることができないからである。そういう生活が原始の時代から人類には遺伝子として埋め込まれている。しかし、そういった自然の驚異に立ち向かうために家や建物を作り気候から体を守り、川には洪水を防ぐために堤防を作ってきた。少しづつであるが自然の驚異をいくらかでも和らげる努力をしてきたわけである。

 しかし、そんな人間の努力をあざ笑うかのように一瞬で人命を奪ったり、建物をなぎ倒していく。それを防ぐ手立ては地球上で生活している限りは無いし、どこかの惑星に人類が移住したとしてもそこでも経験するだろう。

 我々が残す人類の証というのは、本当に少しずつの積み重ねであり、自然はそれを一瞬にして無にしてしまえるほどの値しかない。