ハリルホジッチ監督解任に思う

 晴れ、気温は2度。今日の日中は暖かくなるようだが、朝晩の冷え込みは当分続く。

引用 読売新聞(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20180409-OYT1T50080.html) 

ワールドカップ(W杯)ロシア大会まで、あと2か月だ。この時期になっての監督解任は、果たして吉と出るのか。

 日本サッカー協会田嶋幸三会長は、日本代表のバヒド・ハリルホジッチ監督との契約を解除したと発表した。「選手とのコミュニケーションや信頼関係が薄れてきた」ことを解任の理由に挙げた。

 日本代表監督に対する国民の期待は大きい。監督と選手の間に溝が生じている以上、協会として避けて通れない決断だったろう。

引用 毎日新聞https://mainichi.jp/articles/20180410/ddm/035/050/170000c

しかし、テストは3月まで続き、新戦力発掘に時間を費やしすぎた。それ故に主力が固まらず、チームの連係もままならなかった。3月のベルギー遠征のマリ戦は連係不足で決定機がつぶれ、長友(ガラタサライ)が「意思疎通ができていないからチャンスをつぶした」と語っていたこともあった。

 今後はコミュニケーションや連係を重視したチーム作りが進むだろう。昨年9月を最後に招集外の岡崎(レスター)や、確固たる地位を失っていた本田(パチューカ)や香川(ドルトムント)ら、かつて日本を背負いながら、ハリルホジッチ監督の下では存在感が薄かった選手も、西野ジャパンでは大きな戦力となりうる。

 ザックジャパンの時のブラジルW杯前に主力の意見から戦い方を変えたということを思い出した。今回も主力と呼ばれるメンバーの造反だったのは確かなようだ。

 しかし、主力とされる香川、長友、本田、岡崎が今の現状の状態で主力と呼べるだろうか甚だ疑問である。それを決めるのはバックに持ったスポンサー能力ならそうなのかもしれないが実力という点で代表選手を選ぶのは監督の役割である。

 更に監督が全権を振るえないなら指揮を執る意味は無い。ハリルの考えは監督の命令に従順なメンバーを選びたいという気持ちは自分でも良くわかる。実力があってもチームの和を乱す輩を中に入れておいては、何のメリットももたらさないのは社会に出れば常識である。もし仲間に入りたければ指揮官の命令に従ってもらうしかない。それが戦いの基本だと思う。

 選手の自主性に任せ勝利できるほど日本代表の選手の能力は高くないのは、世界のサッカー状況を見れば明らかである。ハッキリ言うと2流と3流のレベルの間にいる。

 そのチームを如何に勝たせるかは、選手を上手く使うしかない。ハリルの弱点は選手間の競争を上手く引き出せなかったことである。所謂ベテランを呼びながら若手を伸ばす方法を知らなかったということである。

 しかし、今回の騒動は、日本サッカー界で誰が一番偉いのか証明するためのパフォーマンスに過ぎない。昨日の会見のビデオを見ると、かってジーコで惨敗した際、当時の川渕会長がオシムの名前を口走り非難を避けた姿がよぎった。

 

 言うなればロシアW杯の惨敗後の責任を追及されることを予想した田嶋会長が先手を打ったということである。ハリルが悪く解任したのは会長が苦渋の選択をしたことをアッピールし、後任の西野監督がもし惨敗したとしても予選までの準備期間が不足していたと言い訳できるようにしたわけである。これで一勝でもすれば万々歳である。そういった下心が垣間見える。

 現会長の田嶋氏は、左程目立った実績は無い、ここいらで目立つのもこれからの人生優位に働くという計算がある。所謂策士である。その策士の能力が問われる状況で打った手が傍から見れば透けて見えると言わざる負えない。生贄になったハリル氏も惨めである。何故ならW杯に解任された監督というレッテルを張られたわけであるから人生にこれ程不名誉な記録は無いからである。

 ハリル監督にはこれからの人生で日本を見返すチャンスを得られんことを祈るばかりである。