電気

 晴れ、気温は12度。夜中は冷え込んだ。今までの気温と思っていたら風邪を引いてしまうレベルである。北からの冷たい風が北海道を覆ってしまった。この寒さは当分続き北海道は一足先に秋を迎えることになる。

 

 今日の朝も余震があったが、最初の揺れが始まった時この揺れがどの程度続くのかの時間があまりにもストレスである。ただやはり大きい地震が起きるときは、その前段階の揺れはそれなりに大きいのでだいたい予想はつくのだが、それでもやはり怖いものは怖い。

 今朝のニュースで報じていたが、殆どの生活必需品の流通は戻ってきている。足りないものは、豆腐、納豆、牛乳、乳製品くらいのものである。納豆は、毎日朝食べるようにしていたので無いと本当に寂しいものである。

 無いものは仕方がないのであきらめるしかないのだが、毎日の習慣だっただけに何となく歯車が抜けたような気がする。そういったこだわりがある人は多いのではないだろうか。

 今回の災害で感じたのは、やはり誰かを手助けしようとしたら電気、水道、ガスなどのライフラインは絶対必要である。こういった災害で停電が続いた時、電気は必要最低限で良いという人が必ず出てくる。自分は、無くても困らなかったことを自慢する人たちである。

 しかし、ケガをした人や病気になった人が出てその人たちを救おうと思えばそれなりの物資、電気は当然必要になる。自分たちは無事に過ごせれば良かった良かったで済ますことができるが、身内が生き埋めになったりケガをしている時、だれかに助けて貰うために人力だけでは救うことはかなり難しいことを知るべきだろう。

 簡単にそれを諦めろということはたやすいが、例えば病院で電気を失えば人工呼吸器をつけた人や透析を受けている人は死活問題となるのである。さらに災害の現場に人が駆け付けるにも移動手段が必要でそれに関わる多くの機材が電気で動いている。非常電源がいつまでもつとは限らない。それを途絶えさせないためにも電気は必要なのである。

 今回、北海道全域にわたりブラックアウトしたが、その回復のために節電が求められている。この先の電力需要のバランスが崩れれば大停電が起きる可能性があるからである。

 しかし、今停止している泊原発を動かせばその電力を賄うことができるのだけれども、福島の事故のせいで稼働できないでいる。日本のすべての原発が停止しているわけではないので泊を動かすことは可能なはずだが、それをさせようとしない。

 自分も大多数の世論に逆らうことは無い。泊に対する恐怖心を持つ人が多くいることは承知である。だけれども泊は動かしても大丈夫だということは自分の考えとして持っている。