法と秩序

 晴れ、気温は3度。昨日の午後から気温は下がり始めとうとう3度になった。峠は確実に雪か路面凍結状態である。10月だけれども冬間近である。

 

 最近へーと思うニュースが続く。一つは地面師と呼ばれる集団が詐欺事件を引き起こしたというニュースである。それも東京の一等地であり、そもそも土地取引のプロが引っかかるという大掛かりなものである。そして主犯格はフィリピンへ逃亡というのだからドラマの筋書きのようである。あるいはドラマがまねしたか。

 もう一つは、トルコのサウジアラビア領事館でジャーナリストが殺害された事件である。他国のそれも領事館という外交特権がある場所で堂々と殺害されるという稀有な事件である。稀有であると思わなければ世界の秩序はどうなっているのだと思わざる負えない。

 さらにICPOの総裁が中国で拘束されるというのも恐ろしいことなのだが、これは中国で起きた事件だったので中国なら起きそうと思っていた。そして、同様にロシアの暗殺事件もロシアならやりそうと思っていた。

 中国、ロシアの事件も数十年前なら有耶無耶にされて終わりだったと思う。今もその状況は続いているが、少なくともそういったことがあったことは証明されている。以前ならほんの数行の記事で終わっていたかもしれないことである。


 法というものは、本来、共同体の相互認証で作られている。同意に基づく運用である。だから、共同体が異なれば法もそれぞれ異なったものとなる。例えば、日本には死刑制度は存在するが他国では存在しないというようなことである。世界にあるすべての共同体で共通の法というものは無い。

 その理屈は今現在まで続いている。日本では違反だが、他の国では罰せられないことはよくあることで逆も真である。日本で生まれ育った感覚で他国を非難することはできない。何故ならその共同体に含まれる人たちが同意しているからである。

 という訳で日本人の常識で中国、ロシア、そしてサウジアラビア領事館で起きた今回の事件のように彼らの常識の範疇では、国に害を及ぼすような輩は処分するのは妥当なのである。日本人から見て信じられないかもしれないが、日本はある意味先進的なのである。法に照らし合わせ処分を下すことが守られている国の一つなのである。

 だから、法に照らし無実であれば、感情的には許せない犯罪者であっても大手を振って歩ける国なのである。感情的に許せないからと言って証拠もなく罰することはできない。例え日本に不利益があろうともである。

 そういう意味で、法という秩序に守られた健全な国に自分たちは暮らしているのである。