民意という表現

 晴れ、気温は1度。明け方は氷点下になっていた。

引用 東京新聞http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018101890070859.html

米軍普天間(ふてんま)飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古(へのこ)への移設に伴う新基地建設を巡り、防衛省沖縄防衛局は十七日、辺野古沖の埋め立て承認を県が撤回したことに対抗措置を取った。岩屋毅防衛相が発表した。行政不服審査法に基づく不服審査請求に加え、撤回の効力停止を石井啓一国土交通相に申し立てた。沖縄県の玉城(たまき)デニー知事は「知事選で示された民意を踏みにじるもので、到底認められない」と反発した。

 

 沖縄の問題、今後も紆余曲折があるのだろうと思う。

 今回、政府が県の承認撤回を不服とする申し立てを行った。それに対して、飛行場移転反対で当選した玉城知事は当然物申すことは当然である。

 そしてその時に出た「民意」という言葉に違和感を覚えるわけである。「民意」が知事選の選挙結果だという根拠を少し調べてみた。

 沖縄知事選の有権者数が 1,146,815人、そして投票率が63.24%で争われた選挙である。 玉城氏の得票数が、396,632票、佐喜真氏の得票数が316,458票という結果になった。

 有権者数を見ると玉城氏の得票数でも沖縄県有権者のうちのおおよそ34.6%が支持をした結果となる。対する佐喜真氏は27.6%の支持を得たというのが本当の結果である。

 当選した玉城氏でも沖縄の有権者の3分の1に支持しかない。これが、間違いなく有権者の半分以上を取っていれば文句なく民意を無視したといえるだろうが事実はそうではない。

 しかし、そこは民主主義の国であるから、選挙が有効であれば当選者が決まるというルールで決まるのであるから玉城氏の当選を不当ということでもない。

 しかし、実際の民意を反映したかは不透明である。投票しなかった有権者が実際どちらを支持したのか不明だからである。そのあたりのことを考えて「民意」と発言するべきだと思う。


 こういった発言は、反対派、賛成派どちらもしがちである。勝てば民意だし、負ければ少数派の意見を無視するなという発言をする。特に新聞社などは、自分たちの思うところに合致しなければ必ずそういった意思表示の仕方をする。それは、真実を伝える新聞社の態度としていかがなものかと思う。

 だから、そういった読者の考えを誘導しようとするなら、各新聞社は社説なりで自分たちはこの計画に賛成なのか反対なのかをはっきり意思表示するべきなのだろう。それを必ず記事の見出しに記載していただくとわかりやすい。

 上に書いたように、情報は操作できる。例えば投票率の件でも、有権者の数を使わず実投票者の数から玉城氏の得票率はと書けば、55.1%と書け、あたかも沖縄県民の過半数は玉城氏の意見を指示したと思わせることができる。また、反対に佐喜真氏の側は、玉城氏の支持は有権者の34.6%でしかないと書くだろう。どちらの表現で記事にするにせよ読者を欺くことには変わりなく、それなら旗色を鮮明にして記事にすることによってそういう記事の書き方をするのは当然であると事前に納得させてもらうしかない。