ヒロインはヒロインではなかった

 晴れ、気温は1度。夜中には零下になったが雨が雪に変わることは無かった。昨日の夕方は少し霙とは言わないまでも氷のような水滴がたまに顔に当たる時があった。

引用 毎日新聞https://mainichi.jp/articles/20181113/k00/00e/030/190000c) 

国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(本部ロンドン)は12日、ミャンマーアウンサンスーチー国家顧問兼外相に授与していた人権賞を撤回すると発表した。イスラム教徒少数民族ロヒンギャに対する迫害やメディア弾圧を阻止しなかったことに「大いに失望した」と批判した。

 これは本当に面白いニュースである。

 アウンサンスーチー氏に対して人権賞を勝手に送ったのはアムネスティのほうである。くれるから貰ったら今度は取り上げるという支離滅裂ぶりに笑うところである。

 ミャンマーが軍事政権だったころ(今でも軍の影響力が強いのに変わりはない)、人権侵害が激しかった。そのため、世界の国はミャンマーに希望を見出すためアウンサンスーチー氏に目を付けた。彼女が、ミャンマー民主化運動に加担したことがこの賞の受賞の切っ掛けになった。そのほかにもノーベル平和賞を受賞していることも忘れてはならない。

 何故、多くの人が彼女の行動に対して褒めたたえたのかといえば、人権蹂躙に対してかさんに立ち向かう姿が、ヒロイン好きの男性女性に好まれたのだと思う。

 そして事実上のミャンマーのトップにいるのだが、彼女は真のヒロインではなかった。その一つが、ロヒンギャに対する弾圧である。ロヒンギャが厳密にミャンマー人ではないという認識があったとしてもそれで大虐殺という行為が正当化されるものでもない。 彼女にとってロヒンギャミャンマーに入ることでそこに昔から住む人の人権が侵されていると考えているのだが、その目的のために虐殺を行うとなると話は別になる。

 日本のマスコミは、彼女を民主化運動の旗手として持ち上げてきた。彼女が一時軍事政権に対して寛容な姿勢をとった時に、なぜ彼女がそんな行動を取るのか信じられないというような記事があったはずである。しかし、彼女の本質は、自分が生まれたビルマを現代によみがえらせるための行動であり、その姿勢は一貫していると言ってよい。

 勝手にあがめヒロインに祭り上げた人物が、自分たちの考えと異なる行動を取ったことを非難しても、彼女の考えが変わらない代わり馬耳東風である。なぜ、彼女を信じたのかそれを自分たちの理想とする人物に置き換えてしまったのか反省を込めて日本のマスコミは記事にすべきというかぜひしてほしいと願う。