無知の知

 曇り、気温はマイナス4度。

 大々的に報じられている平岸の爆発事故であるが、原因が廃棄予定の消臭剤スプレー管のガス抜きだったようだ。100本程度のガス抜きを室内でやったら当然引火する空気中濃度に達しただろうから、それを知らないで作業していたとしたら本当に「無知の知」ではなかったということだろう。死者が出なかったことが不幸中の幸いというべきだろうか?

 我々の生活の中で、すべてのことを知っているわけではない。知らないことのほうが多いかもしれない。更に今の時代は、スマホという武器が存在する。調べれば自分の脳みそでは保存できないような知識を得られることができる。記憶容量的には無限大の容量である。その知識を得られる道具を持ちながらも使い方を知らなければ宝の持ち腐れとなる。

 きっと「スプレー 廃棄」と打てば色々な知識が表示され、その中には引火の危険性に振れた情報が必ず出ていただろう。身近に教えてくれるものがあるのにも関わらずそれを使わず大きな事故を引き起こすことこそが、知識の階級社会を形作る原因である。

 そういった文明の利器が無い時代は、その知識を得るために村人が集まり知恵を出し合った。しかし、人間の知識容量は決して大きくないため幾ら長老といえども知らないことのほうが多かっただろう。

 そのため、知らないものに接したとき頓珍漢なことをして笑い話になるというのは落語の世界でも語られている。それに比べればはるかに時代は進歩したが、知識を得るという努力をしないで物事を行うことは、昔の人と何も変わらないということになる。

 自分が知らないことを自覚することは大切である。