新幹線殺傷事件の判決に思う

 晴れ、気温はマイナス4度.今日の朝は久し振りに冷え込んだという気がする.12月なのだから当たり前で今の時期雪が無いのがおかしいくらいである.

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mainichi.jp

 このニュース.死刑判決が回避されたことによる報道で新聞はどのように伝えたか気に掛る.

 産経新聞は記事中、「更生の可能性を放棄している被告に対し、検察が求刑で死刑を回避する必要はなかったのではないか」と弁護士の言葉を記載している.

 そして毎日新聞は、こう結んでいる.

成育歴や家庭環境、犯行時に若年だったことなどを考慮すれば「死刑に処することがやむを得ないとまでは言えない」

 

 殺人犯の判決では、最高裁で裁かれた永山事件の折、永山基準というものが示され、被害者が一人の場合死刑判決行わないとすることである.

 

 被害者の家族や関係者にとって、自分の身内は死に加害者が死刑にならないことに対して憤りを覚えることは当然だと思う.多くの人が彼の裁判での行動を見聞きし、彼の思い通りに判決が下されたことに驚きが先に立つだろうし、自分も彼のあきれた考えに対して怒りを感じずにはいられない.

 それでも今回の判決はまさしく「罪を憎んで人を憎まず」の例え通り判決は下されたと言って良い.

 裁判官が、量刑を過ごすうちに罪に向き合うことを期待するというようなニュアンスの言葉を述べたとされるが、それができるかは不透明である.

 

 今回の新聞記事を見るにつけ記事にする新聞社と記者の書き方の差というのは当然ある.この場合は死刑求刑も当然であるというのも世の中の多数の意見だろうし、死刑に値する罪であるが、今までの量刑の基準に照らして止む負えないというのも世の中の意見である.

 こういったことが平等ということではなく歴史の中の時のはざまの中で揺らいでいることは事実である.今回の事件が最高裁まで上告され今の基準にあった判決が下されなかったことも残念なことではある.