フォルトゥナの瞳の感想

 晴れ、気温はマイナス10度.クリスマスイブの朝はピンとした冷たさを感じる.とはいっても特にクリスマスだから何?という気持ちがないわけではない.

 

 WOWOWで録画した「フォルトゥナの瞳」を見たのでその感想を書いてみる.

fortuna-movie.com

 劇場公開は今年の2月から開始され、一年経たないうちにWOWOWで放送というのだから、映画の回転は速い.主演は、神木隆之介有村架純という2人で、原作は百田尚樹である.百田は”ももた”ではなく”ひゃくた”なのが最近知った.

 

ーーーこの先ネタバレになるのでこれから映画を見る人はご注意くださいーーー

 

 映画の話的にはSFのジャンルになるのだろう.死を迎える前の人が徐々に透けて見える能力がある主人公、そしてその能力を彼女も持っていることを最後の最後に明かされる.映画自体は最後まで興味深く見せてくれる.

 

 しかし、難を言えば彼女も同じ能力を持ちながら彼に何故最後までそのことを告げなかったのだろうかという疑問である.お互いにその能力のことを話し合っていれば幸せな結末を迎えられたかもしれない.あるいは、その結末をハッピーエンドにする2人の活躍を描いた方がスカッとしたかもしれない.

 

 この映画の目的は、主人公が自己犠牲の上で大勢の人を救った物語を見せたいというものなのだろう.

 大勢の人の命が救われるのなら一人の命を捨てることは美しい、そういう状況なら貴方も命を投げ出してくださいと教育する映画なのだろう.

 自己犠牲で大勢の命を救う話は色々あるが、自分が読んだ本で近いのは、三浦綾子の「塩狩峠」である.あれも自分の体を線路に投げ出して列車を止め大勢の命を救う話だった.あの小説の根底にはキリスト教の自己犠牲の精神があった.

 

 この映画の主人公は何故自分の命を捨ててまで大勢の人の命を救おうと思ったのだろう.途中出てくる医師に運命を変えるのはやめなさいと忠告されている.それでも、彼女と自分の勤める会社の社長の命を救う.そして、最後には大勢の乗客がのった電車の事故を防いだのだ.

 

 この映画の最大の疑問は、本当に主人公は未来を変えたのだろうか?である.死ぬ時間が迫ると体の薄さが進むという原理は分かったが、そのもととなる未来の結末はどこから来たのかということになる.もし運命が変えられないのだとしたら、主人公が対象の人を救う未来が待っているのだから薄くなるはずはない.

 何故なら主人公の選択で命が救われる救われないが決まる未来は、そこに関係する様々なものを改変してしまう.その一人を救うことで未来のヒトラーが生まれたかもしれないのだ.もしかすると主人公が救った未来の結末は同じになるように運命づけられているのなら、そもそも運命は変えられないことになる.

 

  未来が変えられるとしたら救われた彼、彼女がいる未来はパラレルワールドの未来ということになるだろうが、パラレルワールドは、未来を変えられるという前提で考えられるものであり、そういった世界は主人公が何かをするたび発生するのだし、この能力を持つ人は、この映画だけでも3人登場するのだから、その数は世界の中には相当数いることになる.その人たちが未来を変え続けたらどうなるか考えただけでも恐ろしい話になってしまう.

 

 この映画は、単純に自己犠牲のの美しさを語るものと考えた方が見る方は幸せである.