軽いノリ

 曇り、気温はマイナス4度.夜に薄っすらと雪が降り5cmくらいの積雪となった.

 

 SNSの発達で自分の意見が巷に公表できるようになり、色々な意見が出てきてしまう.今までそういった道具が無く、普段なら人前で意見を述べるような人であったとしても今では自分の意見を述べることができる.その他多数の意見もこの世に出てくるのは、良い面と悪い面がどうしても出てくる.

 悪い面はやはり普段言葉では聞かないような暴論が多くの人の目に触れてしまうことである.過激な思想や人種差別のようなことや人への批判などは、少なくともSNSが無かった時代はひっそりと行われていたはずである.あったとしてもテレビなどであったが、そこには自主規制というものがあり制限されていた.

 

 何事もそうであるが、感情の赴くまま言葉を書いてはいけない.送信する前にもう一度中身を見て深呼吸すべきである.そこに誰かを貶めるような言葉が隠れていないか確認すべきだろう.表現方法によっては受け止め方の違いが出てきて自分を非難しているように感じる人がいる可能性がある.

 

 こういったものは感情が高ぶっている時に書くべきものではないだろうと思う.感情の高ぶりは心を卑しくもする.ある意味目を曇らせてしまうものである.

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 例えば上の朝日新聞の記事である.書いた記者が何かの感情の高ぶりがあったか知らないが、見出しに日本政府をおちょくってやろうという意識が垣間見える.何故?マークを付けるのがその印である.もしそう感じず使ってしまうのなら新聞記事ではなく個人の感想である.

 記事の中身は、日本政府が飛翔体という文言から発射事案と表現を変えたという内容なのだが、それでは朝日新聞の反安倍思想に反するらしいのでわざわざこういった表現の仕方にしたらしい.朝新聞的には北朝鮮のミサイル発射は、既に普通のことで危機感を持つようなことではないと感じているのだろう.見方によっては、この発射したミサイルは、核弾頭を載せることができ、更に日本を標的にできるものかもしれない.

 それでもやはり政府が何かにおびえて神経質すぎると言えるのは、多くの国民が持つ意識なのだろうと思う.身近に危機が迫らなければ意識を変えれない.変えられるのは身近の部分に影響が出てきたときだけ.

 

 話は、最初に戻るが、やはり色々な人が情報発信できることでマスコミの意識も変わってきているのではないだろうか.昔なら最終的に記事を確認する責任者がダメ出しをしていたようなことでも、今ならそういった責任を持つ者がSNSのような軽いノリで自分たちの記事も扱っているのかもしれない.それは時代の影響ともいえるだろう. 

 今の新型コロナウィルスを発症した人が身内に出て初めてその危険性に慄いたり、何時も行くスーパーの棚に何時も普通にあるはずのトイレットペーパーが無くなった時に危機意識を感じるのだろうと思う.