新型コロナウイルスはパンドラの箱になる

 曇り、気温は5度.時折太陽が顔を覗かせるが、すぐ翳ってしまう.今日は気温があまり上がら無そうである.

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 自由というのは本当に面白い.今回のパチンコ店の営業問題の根底にあるのは、緊急事態宣言の中で自由はどこまで許されるかということである.

 結論から言えば、感染していて他の人にうつすのでなければ自由を制限されないということである.あくまでの自由な行動に制限を掛けてもらうために自粛というお願いをするということである.

 であるからパチンコ店を営業したからといって何の問題もないというのが結論である.もし、開店営業中にお客が突然倒れそれが新型コロナウイルスに感染しているような場合は、相当厳重な指導が入り当分営業できなくなると同時に風評で客が寄り付かなくなることも考えられる.営業は自由でありながら何らかの出来事が起きるとつぶれてしまうかもしれないという綱渡り的な営業にはなるだろう.

 本当なら自粛ではなく法律できちんと営業禁止を命令でき、命令するなら損失を補償するというのが筋だと思う.しかし、法律を作る国会議員の方々の色々な思惑が渦巻き、片や自由をうたい、片や国からの資金の持ち出しを嫌がる勢力等がごちゃ混ぜ状態になっているため議論は進まない.

 日本の今までの歴史的な出来事の反動から私権の制限は則、独裁国家になるという意識を持ちすぎているきらいがある.しかし、今の自民党にそういった北朝鮮や中国のように一党独裁ができる人材はいない.とは思うがトラウマを解消するにはもう100年ほどの時間が必要かもしれない.

 では、今の状況はどうかといえば、新型コロナウイルスによる死亡者が少ないことが幸いしている.もし、これがイタリア並みの死亡者が出たとき日本は、一直線に国民自ら自分たちを律して隣組のような組織が出来上がり、全体主義国家が出来上がったかもしれない.

 幸いなことに新型コロナウイルスに感染しても以前として死亡率が低いことが国民の動揺を防いでいると思う.だから、パチンコ店の営業は認めるべきだという人たちの意見も世の中に出てくるわけである.

 しかし、この自粛が長く続けば続くほどに国民全体の意識は変化してくるだろうと思う.体制の方針に従わない者は非国民であるという人たちと自由を制限するなという人たちの対立が先鋭化してくる可能性が高い.そうなった時、どれだけバランスをとって国民の意識を向けていくためのリーダーの存在が求められる.

 果たしてそういった事態になるのか、それともリーダー不在の中で国民が右往左往する事態になるのか、自由を守るというのは言葉では簡単だが、危機的状況の中で自由を認められる範囲が狭まっていくのは確実である.