自粛警察

 曇り、気温は11度.昨日一日降り続いた雨が上がりその湿気が残っている.風が吹くとひんやりする.

 

 自粛警察という言葉がTwitterのトレンド入りをしていた.どこからこの言葉が出てきたかは判らない.

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 自粛警察イコール自警団のようなものだろう.自警団の言葉が古いため新しい言葉が生み出されたのかもしれない.そして、SNSでこの話題が起きたところからマスコミが一斉に報じはじめニュースとなり、それが全国ニュースにまでなったというのが今の状況である.

 最初にこの話題を作る発端となったのは、ゴールデンウイークが始まる前に地方の知事がコロナの指定都市から自分たちの地方に来ないで欲しいという要望から始まった.そのため他の地方からくる人たちはバイ菌をまき散らす悪という存在になった.その大元は、休みに海岸に押し寄せる人たちの姿や公園に集まる人の姿を捉えたマスコミの報道だった.

 一部の地域に人が集まればマスコミが集まりその姿をこぞって映し出す.政府が自粛を要請しているのに日本国民の一部はこういう状態なのですよと映像付きで流したわけである.

 もし、こういったニュースを流さずにそっとしておけばよいのにもっと過激な状況を求めてマスコミは動き出す.ここでは野外でバーベキューをしているだとか公園の桜を見に人が押し寄せているとかあたかも日本人の多くが自粛していないかのような映像を何回も繰り返せば、本当に自粛をしている人たちが面白く思うはずもない.そこで、そういった風潮に抗議行動を示すようになり、更にそれをまたマスコミが報じることでニュースになる.

 こういったニュースが出てくるのもマスコミの根本的な構造にあると言って良い.ニュースが無ければニュースになりそうなことを作り出すことが使命であり、もしそれが大きな話題になりそうなら燃料を投下し更に大きなニュースを作り出そうとする.大きくなればなるほど自分たちの仕事が増えるわけだから彼らも必死である.炎上する燃料を追加するのはマスコミにとって必要悪なわけである.

 そこで迷惑を蒙るのは、何時も一般人と言われる人たちである.彼らの流すニュースを信じ過剰な反応をしてしまう輩が出てくることで表舞台に駆り出される.いうなれば燃料の加熱役である.一般人と呼ばれる人が動き出さなければ炎上しないわけであるから炎上するための仕掛けも施す場合もある.そうしてその騒動に巻き込まれながら大騒ぎをするわけである.

 今回の新型コロナウイルスの件も、そういった時こそ冷静な報道をしなければならないマスコミは、PCR検査の是非がニュースとなるとなるとその話題を繰り返し報じる.彼らにとって賛否はどうでも良いことで議論が過熱すればするほど好都合なわけである.

 だれがその報道の被害に合おうとも彼らは反省しない.自分達に加害者意識は無く、却ってその被害を受けた人を更に取材しニュースにしようとする.本当の正義を彼らは持たない.自分たちが正義の報道をすると宣うほどその被害が大きいのである.

 今回の自粛警察の件も、日本人の中でそういった組織が存在するわけではない.各地方にいるそういった単体の行動をする人たちが行動をしているだけである.しかし、こういったニュースに取り上げられることによりそれを模倣する人たちが大勢出てくる.ニュースにならなければほんの数件の出来事が何十倍何百倍に増えていく.

 そして今は、その騒ぎが大きくなったところでその行動を戒めようと報道し始める.しかし、行動自粛なのだから、できるだけ自粛している方が良いはずなのに、自粛せずに遠くの地方まで遊びに行くことが許されるような形になってしまうと本末転倒ということになる.