情報を見分ける能力の必要性

 雨、気温は12度.夜明け前に雷の音が鳴り響き、徐々に雨が降り出した.今は、小雨であるが今日一日は、降り続くようである.

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 この問題、少し自分なりの意見を書いておきたいと思う.

 この件の問題点を整理する.

  1. SNSでの誹謗中傷問題
  2. 番組制作側の問題

 1については、規制するにあたって必ず出てくるのが、表現の自由言論の自由の制限である.今回の件によって政府も速やかに動き出し、行き過ぎた場合は、速やかに発言者の情報を公開請求できるようにすると発表した.今まで、世論は行き過ぎた発言により死に追いやった人間を処罰するように求める論調だったのを煽るような論調だったマスコミが風向きを変える.それは、ある意味自分たちが火を点け燃え上がったところに色々な意見があると水を差すように対立を煽る論調を追加する何時ものやり方である.彼らにとって正義は無い.自分たちが仕事しやすいような社会が続くことが理想であるため、それが制限されるような法律ができると都合が悪い.そのため、自分達の都合の良い意見を言う人を集めてくる.ある意味、彼らの利益誘導が衣の隙間からちらちら見えるため、それだけでマスコミに対する見方が変わってしまう.

 マスコミの方針は、彼らの利益が第一にある.更にその次は、お金を払ってくれるスポンサーである.そして次に自分たちの発行するデータを購入してくれる消費者という順番になっている.今回掛けマージャンを行った新聞記者の実名が報道されないのも優先順位が高いからである.

 彼らの報道する内容は、必ず眉に唾を付けてみていく必要がある.それを怠って情報を取り込むと彼らの思いのままに操られる結果となる.

 

 2つ目の問題だが、やはりこの番組の作りである.恋愛リアリティショーと分類されるが、ノンフィクションでは絶対ない.必ず演出が入り映像は編集される.出演者は、見ている人たちの望むように演技をする.その行動原理は視聴率である.今回の件も、視聴率を上げるために見せ場がありそれを宣伝に使い見ている者の反応を盛り上げようとする.そのためには炎上も必要善なのである.そして見ている者は、フィクションと薄々感じながらもそれが事実だと誤認しながら番組を見るわけである.更に、自分達が意見を発すれば発するほどドラマの筋書きは自分たちが望むように変化していく.ストーリーを変えるために声を大きくする必要がある.

 出演する側は、演技をしろと直接言われていないかもしれないが、番組スタッフの意思を感じ取りそれに沿って演技をしていくため、自分の意思で行動していると誤認するようになる.そうして演技と現実の境界が曖昧なまま番組に出演することで、SNSの批判が本当の自分に向けられた言葉と思い込むことになる.最初からドラマの俳優という認識だったらこういった悲劇を生むことはなかったかもしれない.

 

 そうしてこの2つの問題を冷静に分けて考えることなくマスコミは連日あることないこと書きたてていくわけである.そうして、SNSの規制も中途半端に終わり、更にこういった番組も事件があったことを忘れたように続いていくわけである.

 

 このブログでは、ここ数年、ニュース記事を取り上げて書くことが多くなってきた.その中で感じるのは、自分達の利益誘導のために意図的にニュースを作っているということである.自分たちに不利益になることは、アリバイ作りのために小さく報道し、利益になることは、阿吽の呼吸で多くのマスコミがニュースとして取り上げる.今までさんざん批判してきたSNSなどのネット媒体も自分たちの都合に合えば積極的に取り上げ、都合が悪ければ黙殺する.徐々にネットを通じた情報量が多くなるにつれそれは顕著になり、更に自分たちでネットの情報を操作しようともする.

 今まで、マスコミに流れないような情報があると信じられていたが、今はそうではない.ネットに流れる話題も自分たちの都合の良いように働くように操作されていると疑った方が良くなってきている.

 本当に情報が嘘か誠か見分けるリテラシーが必要な時代であるとつくづく感じるのである.