暗いニュースが溢れる世の中

 雪、気温はマイナス3度.今日は一転して真冬日になるようである.

 

 新型コロナウイルスが流行してから、常にこの話題が先に気てしまい、それにまつわる話題である.ワクチン接種の遅れとか、副反応の発現とかそして、変異株の恐怖など常に悲観的な話題が巷に溢れている.

 更に、自粛により倒産とか失業とかとにかく明るい話題に乏しい中、国会では高級官僚と言われる役人の接待問題が起き、東京オリンピックの開催も不透明なまま進められている感じがする.

 できるだけ悲しいニュースに触れないようにしたいのだが、人々の会話やテレビのニュースではそういった悲観的な話題が好まれるようで、そういうものを見ない聞かないと努力しなければ自然と入ってくる.

 だからと言って、そういったニュースを聞いていなければこの世の中から取り残されてしまうのも事実で、山の中で隠遁生活をしていない限りそれから逃れらない.

 

 このblogでは、常にニュースに対しての報道の在り方にケチを付けているわけであるが、ニュースを発信する大部分の記者たちは誠心誠意に仕事を行っているのは事実であり、それを一括りにして非難するのは当然間違っている.それはこの場で反省したいと思っている.

 情報を正確に正しく伝えるのは、結構難しいことである.それを毎日こなすというのは頭の下がる思いである.本当にご苦労様といいたい.

 

 でも、何故そういった不信感を抱かせるかというと、やはり主義主張の違いというしかないのかもしれない.マスコミにとって自社の精神と経営を天秤に掛けながら業務を行っているはずである.当然、その中で忖度があり、危険な領域は避けて通りたいと思うのは、人間であれば誰しも思うことである.だから、時には非難すべきところで非難をせず.記事にしなければならないところを記事にしないという判断はあるだろう.それは、当然である.

 

 しかし、その不信感の元は、マスコミは常に正確な情報を発信し、中立的立場に立ち公平にニュースを報じていない場合が多々あることである.

 そういった馬鹿正直な会社は、生き延びることはできないのだろうと思ってしまうことが残念なことである.