人を教えるということ

 晴れ、気温はマイナス2度.昨日の夜は、非常に寒かった.冬に逆戻りした感じである.そして、今朝も寒く冬用のコートで丁度良い.道行く人は既に春物に衣替えした人がいるが寒そうである.

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 この件、昭和の時代だったらこういったことはあった.それを肯定するわけではない.自分も中学時代の授業中の心無い言葉で悔し涙をした口である.今なら知恵がついているので相手の理不尽さを指摘して言い返していただろう.しかし、田舎の子供であったため教師は絶対という意識が強くそれに反抗できなかった.

 教師のも色々な人間がおり、教えることが不適格な人格の教師も存在する.それは、自分のことは棚に上げての評価になってしまうが、聖人君子であるという妄想を吹き飛ばしてくれることだった.本当にその時は、教師には反抗することは悪で指示に従うのは絶対だった.

 

 きっとこの学校は、学生のうちに看護業務につくには不適格と判断してその後の未来を閉ざすことが方針として許容されていたのだろう.

 どれだけ強い口調で叱咤しても学生の進級を預かるるという絶対的な立場で反抗を抑え、従順に従うものだけを学生として認める.そういった指導は、本当に昭和の時代では当たり前にあったことである.更に言えば昭和の学生の反抗度合いは強烈だったかもしれない.教師を殴って退学ということもあったのも事実である.そういう学校では、教師も舐められてはいけないという虚勢を張っていた部分もあり、言葉も苛烈だった.

 こんなことを書くと昔は良かった.それに倣うべきであると言っているわけではない.既に時代は変わり教師の暴力は否定される時代である.力の暴力もそうであるが、言葉の暴力はもっといけない.それは精神的に人を追い詰める行為で有るからである.

 

 少子高齢化が進み、子供の数も減り、更に新型コロナウイルスの影響もあり看護師という職業のなりても相対的に減っている状況で.更に都会に大きな看護大学などの養成校ができ、地方に行く学生の偏差値も低下傾向と聞く.学校は、卒業生を看護師という国家資格を獲得させるための予備校とならざる負えない状況である.教師の評価は、やはり卒業生をどれだけ多く看護師にするかという評価軸になる.

 ここまで書いてあれなのだが、実際の事実を把握しているわけではない.新聞やネットでの情報で書いているのであるが、報道によれば言葉の暴力と力での暴力があったことは間違いのないようだ.事実をきちんと明らかにし対応して欲しいと思う.