自己責任について

自己責任について一言。

本来の自己責任は、法律用語として用いられる場合は、自己が取れる範囲の責任を意味するもので、今回の、自分が行った行動に対して自分で責任を取るというのは、誤用であるらしい。

その場合、法律用語の意味で述べているのか、世間一般で使用されている意味で述べているのかを類推する必要がある。

世間一般の意味で使用していると考える場合、法律用語の自己責任についてとうとうと述べてその意見が間違っているといってもそれは、揚げ足取りにしかならない。
今回の、ニュース等で取り上げられている自己責任は、自分の責任で行ったことという解釈を前提に論じなければならないだろう。

今回、イラクで人質となった5人の方は、政府が危険と判断している地域に、自分達がどんな危険な目に会おうとも自分の責任でその危険に対処するつもりでそこに赴いた事になる。

では、このような行動は、全て、危険な地域に行った者が悪く、日本政府は、起こった出来事に対して全ての責任を取らないで良いという事になる。

確かに、燃え盛る火事の中に、何も目的を持たずその中に飛び込めば自分の責任となるだろう。これは自殺になるだろうが。

そこで、燃え盛る火の海のに飛び込んだ者を消防士が見ていてそれを助けないで『あれは自分の責任で飛び込んだのだからほっておこう』と言うのが正しいのだろうか?

また、火の海に飛び込んだ者が、本当は逃げ送れた人を助けようと飛び込んだ場合はどうだろう。
その場合、黙ってみていて何もしなかった場合、当然見殺しにしたとして非難されるだろう。

今回の、人質になった5人の方はそれぞれ目的を持って行動しているわけであるし自殺しに行ったわけではない。
その場合、消防士である国は、当然救助する必要があるだろう。もう手遅れで助けようがないと事前にわかっている場合は、諦めることもあるだろうが、今回のようにまだ助かる見込みがあると確認されているのだから助けに行くことは国家として当然の義務だろう。

また、イラクに行った目的が云々と言う事になった場合、その事と自国民(決して犯罪を犯しているわけではない)を救出するのに自分の責任で行ったからと理由付けして責任論を持ってくるのは間違いだと思う。

この場合、小泉首相のニュアンスは、せっかく解放されたのにまたそのイラクに残りたいと言うのは非常識だと言いたかったと解釈したい。
また、人質になった方の言い分は、自分は正しいと思ってイラクに入り、今回は、このような状況にあったためイラクから出国しなければならないが、また来たいと言ったと解釈すれば良いのではないだろうか。

そこで、いろいろな方面から出ている自己責任論は、安全な領域(リングの外)に居ながら自分で何もしようともしない(リングの中に入らない)解説者或いは評論家の言葉でしかないと思う。

物事の本質を見極める事をしないで、遠巻きに囲んで表面だけ見つめて物事を論じるのは危険である。
もしそれが許されるなら、どこに真実があるのさえも見失ってしまう。

ましてや、遠く離れたイラクの出来事である。正確な情報が得られないでどうして正しい判断が下せるであろうか?
今回の件では、政府が人質の安全のためにどのように行動したかを秘密としていた。
もう全ての人質が解放されたのだからはっきりとどのように救出に努力したか明らかにすべきである。