人間は考える葦である。

タイトルは、皆さんも1度は聞いた事があると思われるパスカルの言葉です。

 最初にこの言葉を聞いたとき、「あし」 足って、何だ人間は歩行するからか?なんていう馬鹿な考えを持ち、その書かれた文字を見てそれが植物の「葦」だという事がわかった。だからといってその言葉を理解したわけではない。更に追加すれば「葦」は普通は「よし」といわれているもので、川原に生えているものの事だというのも少したってわかった。

 まだその頃は、小学生で有名な人の言葉だということしか心に留めていなかった。
更にいえばその言葉の本当の意味はつい最近まで知らなかったのです。
 また、その頃の自分の解釈は、人間は葦のように中空の存在であり、口から食べたり飲んだりしたものはのお尻から排泄されるわけで一本の管のようなものなんだろう、ただ違うのはそのストローのよう構造物が考えるか考えないかだという事をいっているんだよと。
 その頃の自分は、それなりに考え調べもせずそう理解した。

 で、最近、偶然読んだの「天才科学者たちの奇跡」三田誠広著(PHP文庫)中にその言葉が載っていた。

「人間は自然の中で最も弱い1本の葦でしかない。しかし人間は考える葦である。人間を倒すのに宇宙は武器を必要としない。1陣の風、1滴の水が、人間の命を奪う。だが宇宙が人間を倒す時、人間は宇宙よりも高貴である。なぜなら人間は自分が限られた命しかないことを知っている。自分の無力と、宇宙の偉大さを知っている。宇宙は人間について、何も知らない。」(本文中より引用)
 
 ここでパスカルは、弱い存在としての喩えで「葦」を持ってきたようである。
自分の解釈は見事な間違いであった。今まで、この自分の解釈を他の人にいったり、文章の中に書いたりしていないので、別に良いのだけれども、自分の勉強不足で間違ったことをいったり書いたりすることは良くあることで気をつけなければいけない事である。
 
 詳しくは、この本なり、別な本を読むなりしてこの言葉の意味するところを理解してもらえればと思います。

 余りにも有名すぎる言葉なのに本当の意味するところが伝わっていないという事は間々ありあます。この言葉も小学生の自分のように「人間は考える足である」と勘違いしている人がいるかもしれませんし、意味も理解せず使っている人がいるかもしれません。
 無知という事は、自分にとっては怖ろしいことであり、世間や世界にとってはこれ程強いものは無いのかもしれません。