走る事の意味

自分は、朝の日課として走っているのであるが、走る事に意味はあるのかと良く聞かれる。

 それに対して「健康のためです。」と答える事にしている。まあ、走らない人にはその意味は理解できないし、理解させようとも思わない。

 きっと走る人にはわかる話です。

 朝、普通の人より早起きし走り出すと必ず走りたくない日がやってくる。走らなきゃダメと思い直して走る人もいるし、今日は辞めたといってまた眠ってしまう人もいるだろう。そこに、ルールは存在しないのだから走りたい時に走り、走りたくない人は走らなければ良い。ただし、何かの理由ばかり付けて走らない人は、そのうち走るのを辞めてしまう。

 別にそれも、走る事が不向きであれば、別なスポーツに変えればいいことなのでそれも正しい。

 では、雨降り、寒い日など走るのがつらい時でも必ず走る人、こんな人は、同じ走る人間にとって尊敬に値する。何故なら毎日継続する事自体、強い心を持っていなければ達成できない事を知っているからである。

 さらに、走る事はストレス解消になる。これは間違いない。練習でも、大会でもそうだが、走る時にはゴールがある。普段の仕事では中々ゴールにたどり着けないが、走ればその都度ゴールに到達する事ができる。目標に到達することは、小さい事ながら喜びである。ゴールにたどり着けなくて棄権するのもご愛嬌である。

 更に、以前も書いたのだが色んな思索をする事ができる。逆に普段の練習では思索できる程度の走りが良いのではないかと思う。ただし、ランニング中は筆記具を持っていないので、その途中で浮かんだ発想はゴール後に忘れてしまう事が間々ある。しかし、忘れてしまうと言う事は、大した発想でなかったということで気にすることはない。
 
 昔の修験者は、山道を念仏を唱えながら走ったというが、もしかしたら走る事は修行に通ずるところがあるかもしれない。走りながら考え、思索する。さらに長時間走ればランニングハイになり喜びに変わる。走る事が好きな人はこの気持ちが理解できるに違いない