見慣れた風景が変わっていく。

私の住んでいるところは、まだ出来て20年程の住宅街である。

 街が出来た頃は、中年世代の子供が小学生という家が多く、その中に定年後の終の棲家として住まわれた世代と比較的バランスよく世代構成がなされていた。
 その頃の街の商店街は、色々な店が出来たが、間口が狭い、商品の品揃えも比較的少ない店が多く、また昔ながらのご近所中心の商売を行っていた。

 そのうちに、近くに大型スーパーが出来、その商店街からも人通りも途絶え、店を廃業していく人が増え代わりに学習塾が目立ちだした。そう小学生だった子供達が高校受験を控え始めた頃であった。
 
 そして年月が過ぎ、近所の大型スーパーも、郊外にショッピングセンターが出来ると売上が落ち始めたようで、食品中心の営業形態に転換し始めた。

 で昔ながらの商店街はどうかというと、それなりに経営は苦しいようだがそれなりに営業していた。

 そして何年かすると、今度は急速に子供が減りだした、近所に何十人もいた子供が、今では2,3人しかおらず、明らかに中高年が街の中心に変わってきたのである。
 
 そのような変化がおきると、あんなに沢山あった学習塾も数が減りだし次に増えだしたのは、パチンコ店である。見事に世代に合わせシフトしているのは見事である。これが住宅街の典型なのかもしれない。 

 という事は、このまま人口分布において世代間の移動がなければ今後この住宅街は高齢化が益々進むという結論になる。当然商店街は、高齢者に向けた店舗が増えなければならない。
 
 最近の高齢者は、健康増進やスポーツなどにたいする要求が強いように思うので、高齢者向けの健康産業やスポーツショップなどが狙い目なのかもしれない。あと、高齢者は思ったほど生活圏が狭くなる傾向はないようである。時間は余るほどあるためその時間で長距離を移動するようである。だから、従来からの移動距離は少ないという認識からではなく、郊外型のショッピングセンターも中高年向けの低額と高額商品というようにはっきりした商品構成が必要ではないだろうか。
 後若者向けのファッション商品売り場も今後しく小傾向になるだろう。それによって店内が急に地味に見えてくるのはしょうがないといえばしょうがないのかもしれない。逆にその雰囲気を逆手にとって落ち着いたものに変えていくことによって集客力を上げるもの手かもしれない。

 そこで、近所の商店街である。その中の一人は今後を悲観して手を上げてしまった。確かに今後の年齢構成から言えば明るい未来は予想できないが、でも今までの間に景気の良かった時もそれなりにあり暮らしも良かったときも有った。その時に今後の予想を立て業態を変える努力をしてこなかったのも事実である。当然といえば当然である。考えたとしてもどのようにすれば良いかの発想がなかったのかもしれない。
 
 でも、さみしいものがある。街の変化は、住んでいるものにとって好ましいものと好ましくないものがある。古くから住んでいるものにとって風景が少しずつ代わるのが良いが大きく変わることを好まない。保守的になるのかもしれない。その変化をどのように感じるかが年老いたことの証明なのかもしれない。