遺伝的淘汰と医療

医療は、もしかしたら自然淘汰すべき遺伝子を淘汰させない負の作用があるのではないかと考えた。

 治療法がまだわからない遺伝的疾患を治療するための方法を研究する人がいる。だけれども遺伝的に不都合があるのならその遺伝子を持った人間を治療する事は人類にとって何の益があるのだろうか。

 この思想は、ヒットラーの優性思想に通ずるものがある。もしこれに対する正しい回答を自分が持たなければ、自分もその思想の虜になってしまう。

 自分なりに考えた答は、「完璧な遺伝子構造をもつ人間を特定できない。」である。或いは完全な遺伝子をもつ親から突然変異で不完全な子が出来る事もありえる。その突然変異は、もしかしたらこの後の世界で種が生き残るのに必要不可欠な遺伝子の可能性がある。その手前で完全な遺伝子だけを生き残らせた場合、その遺伝子は継承されずかえって未来の種の絶滅を引き起こす可能性がある。

 人間は神ではない。それは、肝に銘じなければならない。しかし、医療は神の領域に踏み込もうとしているのかもしれない。

追記

 遺伝子は、人そのものでもなくその人格を形成するものでもない。遺伝子情報から、人間を選抜する事は不可能である。遺伝子的に優れていても人類にとってマイナスになる場合もあることも不可能の理由である事を付け加える。