5月3日 憲法記念日

最近、議会は改憲と郵政民営化の話題で盛り上がっているようだが、いまの日本国憲法が定められてからこの憲法で問題があったのだろうか?

 確かに、自衛隊が今のように巨大になり憲法上規制されるはずの軍隊に実質上なってしまっている。
 戦争を仕掛けてくる可能性がある国がある以上こちらは防衛するための軍備をもたなけねばならいという理論は、いつか破綻するのは歴史が証明している。
 
 たとえば、日常的に殺人が起きている。その殆どが刃物やその類の道具によるものである。例えばアメリカのように銃が普通の家庭の中にあり、普通に手に入るとしたらもっと大量の犠牲者が出ているはずである。
 今の日本では、その銃が手に入らないからこの程度で収まっていると言える。

 軍備もその点で似たものと言える。もし軍隊を持たなければ少なくともその行使をする事もない。相手が持っていたらどうするのかという事になる。するとこちらも武器をもつそのジレンマを解決しなければならない。

 そこで国連の活用と言う論理が出てきたのである。しかし世界の警察になるべき国連がそのような機能を持たないのがこの論理の弱いところである。そして今のところ世界の警察はアメリカのようである。そのため、日本はアメリカと言う国の軍隊に用心棒代をせっせと支払っているのだが。

 戦後の日本は、平和憲法と国連への積極的貢献を旗印に外交を進めてきたが、国連が機能しない今、日本が独自に軍隊を持つか、或いはアメリカの保護のもとに今後とも生き抜くかの選択で自国で軍備を持つという結論に達したのだろう。

 本当に残念なのは、国連がやはり世界の大国の影響を受けて真に世界平和に貢献してさえいればと思う。そんな夢のような話は存在しないのかもしれない。
 理想主義者は理想だけで生きていけない。現実の生活が身近に存在するからである。
 今、日本の常任理事国入りの話があるが是非とも常任理事国になり、世界平和に勤めてもらいたいものだ。そうなった時自衛隊と言う軍隊を解散できればと思う。平和な世の中に軍隊ほど無駄なものは無い。普通の人間に毎日ボディーガードを付けているようなものだからである。

 
 これからは予断であるが、今日もTV局のニュースの中で記者が、あたかも自分が正義使者であるかのようにJR西日本の企業体質を批判していた。しかし、TV局がその立場にたって物申すのに非常に違和感がある。見ていて非常に不快になる。
 どこかのTV局の社長が『我々は、公共の電波を扱っている』というような話をしていたが、公共放送の役割は正義の鉄槌を自ら振りかざしまるでアジテーターのように個を批判するような放送をして良いものであろうか?
 自分達が調べた事実を、スポンサー或いはその他の影響で放送取りやめずに放送を行うことが大事ではないのだろうか。

 今日一日のTV番組の中に、日本国憲法の成り立ちと今後どうしなければいけないかを考える放送が無いのが残念である。視聴率を考えずそういった硬派な内容の放送をしてこそ公共の電波の使い道だと思う。その点NHKは、視聴率競争から離れている立場なので唯一放送が行われている。