年寄りが生きて行ける社会

昨日の話しが、余りにもまとまりが悪く何を言っているか解らないのでもう一度書く。

 今後、団塊の世代が定年することで、大量の老人(60以上を老人のくくりとする、中にはまだ若いという方もいるだろうが)が生み出される。年金の受給は、まだ先であるから、その間は、貯蓄を取り崩して生活をするしかない。
 
 ただし全てが、職を失うわけではなく何割かは、定年後も働き続ける人もいるだろうが、半分程度だろうか。

 この年代は、高度成長期を生き抜いているわけで、今の現役世代よりは、成長の恩恵を受け、持ち家、貯蓄率は高そうである。現にこの世代が、ニートと呼ばれる世代を作り出したくらいだから生活水準は高そうで、中流家庭を字で行く世代である。

 きっと、半分くらいはきっと現在の水準を落とさず生活していけるのではないだろうか。問題は、それ以外の層といえる。

 この世代の、環境を整備していかなければ、この後に続く世代は、困難な老後を送らなければならなくなるのではないか。

 老後といえば年金であるが、その制度も今の論議では、破綻するのは目に見えている。本当は、破綻常態なのは間違いない。なぜなら、今後続く世代の平均寿命は、確実に短くなり、それに反するように支給開始時期を遅らせている現実がある。平均寿命が低くなり、受給開始時期を遅らせれば、年金の実質支払いは減るからである。

 現在の、日本の男女の平均寿命が81歳程度であるから、これが欧米並みの77歳程度に下がれば、4年分の年金支給額がへることになる。もしこの寿命が、70歳程度になれば、単純に考えれば、7割程度も支給額が減る事になる。

 年金破綻を防ぐ簡単な方法は、日本人の平均寿命が下がれば良いということになる。江戸時代の年貢の取立てのように「生かさず様、殺さぬ様」で行くという事である。

 では、それに沿った方策というのは、明らかに医療行政ということになる。日本人の平均寿命を決めるのは医療政策だからである。
 医療行政の今後の方針は、社会的入院を減らそうとしている。これが即、平均寿命の低下に結びつくと考えられる。社会的入院をしている老人は、入院して入ればこそ、寿命が延びているのである。これが、社会の中にいて食事や寝る場所の環境が悪化すれば、長生きは出来ないだろう。

 自分も社会的入院が良いとは思っていない。しかし、社会的環境が、老人に対応していない現在、その環境を整備する必要がある。

 過疎の村に定年後の世代を移住させるのも結構だが、医療や福祉が整備されていなければ、姥捨て山に等しい。人の目に付かぬところに老人を捨てるようなものである。
 
 自分達の世代が、捨てられぬよう今から準備していく必要がある。それが、年寄りが地域と共に生きて行ける社会を作る事なのだ。やはり、行き着くところは、金や物をつぎ込む事ではなく、地域住民とのコミュニケーションが如何に形成されるかに尽きるだろう。
 そのためには学童保育、老人センターなど細かい区分けではなく、それらを融合した施設作りが必要となるのではないだろうか。