富の再配分

ここ何日か、富の再配分について考えてみた。

 富の再配分と言うと、発展途上国と先進国との関係のような世界的規模のものから、身近で言えば、生活保護、年金などの社会保障制度がこの範疇に入るだろう。

 富める者にすれば、自分の努力の結果を税金で大半を失うのは納得がいかないだろうし、貧しいものにとっては、最低限の生活の保障が必要である。

 正当な方法で富を得るのは正しく当然の権利である。そして自分の意思で働けるにもかかわらず働く事をしないで不平を言うのは筋違いである。

 しかし、体に障害を持った人や、年を取り働こうにも働き口が無い人、そういった社会的弱者にとって、社会保障制度は命の綱である。(ここで、その命の綱を無題使いする役人には腹が立つがここでは本題から外れるのでこれくらいにする。)
 
 小泉首相の悪口を言うわけではないが、今までの政治は、持てる者は更に持てる者に、そうでない人や競争に負けた敗者は、職を失い、リストラされていく。
 これに関して、やりすぎの面があるが、日本と言う国を本当に競争力のある国にするにはやむ終えないとする主張に沿った政策だと言える。
 それは、日本国民が選挙と言う間接的な方法ではあるが、それをよしとした事である。
 
 しかし、弱者があっての強者である。弱者を見捨てては、日本と言う国は成り立っていかないと考える。

 そこで、富の再配分という考えが出てくるのである。持てる者の富を持てない者に移動させる方法を取る必要がある。

 しかし、ここで考えが止まってしまう。