日本人が本当のzicoを理解できないわけ

これを読んで。

質問者==(変換)==>通訳==(変換)==>ZICO==(変換)==>通訳==(変換)==>質問者

 このようにして、誤変換(日本人なら分かるニュアンスを正確にポルトガル語に変換できないこと)されていく。これでは、真の意味を日本人、或いは代表選手に伝えることは大変難しいことだろう。またその中には、通訳のバイアスも掛かりZICO監督が伝えようとする微妙なニュアンスは決して伝わっていなかっただろう。

 だから、最後まで三都主選手を代表に残しておくのは止む終えないことだろう。しかし、三都主選手も別な選手には誤変換していた可能性もある。

 このことは、日本人同士でも起こりえることである、言葉の真意が伝わらないことは往々にして起こりうる。そして、直接ではなく、人を介して話を聞いた場合、その間に入った人の解釈が入り込むことがあり、直接本人に確認すると全く違った意味だったこともある。それ程難しいのに、言葉の用い方、解釈がそもそも違う国の場合もっと大変なことだと思う。

 ZICO監督がもっとその辺りの、立ち回りが上手ければ、その言葉の理解度の逆手を取る事も可能だろうが、サッカーのマリーシアのような手は使わない正直な人だったのかもしれない。もし、日本人の監督であったなら、却ってその言葉の裏を深読みして上手くいかない場合があるが、言葉の障壁が、衝突を防ぐ意味もあっただろう。

 次の、代表監督も、外国人監督が予想され、その第1候補にジェフのオシム氏の名が挙がっているが、この人は、上手く言葉の壁を利用できる印象がある。そう言った意味で適任かもしれない。

 私も、ZICO監督のサッカープレーは大好きであった。そして、鹿島での活躍そして、日本にプロサッカーを根付かしてくれた第1人者であるのは間違いないことである。
 そのZICO監督の考えが、代表選手に100%伝わっていたとしたら、今回のような予選敗退は起こらなかったと思う。更に言えば、ZICOと選手の間をサポートできなかった、協会の責任は重いだろう。

 ZICO ご苦労様、ヨーロッパで真の監督としての能力をつけることを期待しています。