靖国の問題

何回同じことを書いても、ここで発言しても無駄だということは良く分かっている。昨日も、記事を書き始めたのだが、途中で馬鹿らしくなってやめてしまった。

 でもまた書き始める自分がいるので、書くことにする。

 小泉首相靖国参拝をめぐる問題を語るには、国内の問題と、国外の問題と分けて考えていかなければならない。国内問題と国外問題を意図的に語る戦略があるのか知れないが、同じ目線で語ることによって、問題の本質が分かりにくくなってきている。

 まず初めに、国内の問題としての総理大臣の参拝は許されるのか?

 まずこの問題は、総理大臣の日常は、明確に公人と私人に区別されるのかということになる。例えば、朝起きて歯を磨きトイレに入っている時間は果たして、公人、私人なのかと問われているようなものである。小泉流の解釈で言うと、「そんなの分かる分けないでしょ」ということになるのだけれど、その曖昧とした部分があるからこそ、総理大臣としての地位がある間は全てにおいて公人であるはずである。

 もし、世間に分かる様に行動したいなら、公私自動判別装置が付いた服を着て、公人なら黒、私人なら白と瞬時に色が変わるようにしなければならない。

 総理大臣の日常が全て公人と判断されるなら、明らかに靖国神社の参拝は、憲法違反である。

 国外への問題を別にしなければならないといった理由は、小泉首相靖国参拝は反対だが、中国や韓国が内政干渉するのは我慢ならないという理由で、首相の参拝を認めてしまう人が多少とも居ると考えられるからである。

 外交問題を表に出し、今回の行為を非難すれば、反対にナショナリズムを若者に煽り、中韓に対する敵愾心を高めることに寄与する怖れがあるからである。

 そもそも靖国神社は、その時の朝廷或いは政府側の戦闘で亡くなった者を慰霊するものであって、戦争で犠牲になった国民、或いは敵として戦った相手側の戦死者を対象としていない。戦争の正当化を担う施設なのである。

 そこにおいて、戦争に対する反省もあるはずがない、何故なら反省自体が英霊の名誉の戦死という事実を傷つけることになるからである。
 
 更に、自民党の麻生外務大臣が、靖国を国営施設に変えて総理大臣が堂々と参拝できるようにすべきだという発言があった。これも無宗教の施設なら構わないだろうという考えなのだろうが、そもそも、今回の事の発端は、戦争の犠牲者が誰なのか、誰に対して慰霊に行くのかということである。その、ある片方の犠牲者(戦争を積極的に進めた死者も含まれる)だけを奉る神社に行くことが正しい行いなのかという点なのである。

 もし、本当に戦争に反対し、そこで犠牲になった方々全員を祭るというなら話は別である。そこを区別して戦争を行った一方の犠牲者だけを奉る施設に一国を代表する総理大臣が参拝することに問題があるのである。

 解決方法は、無宗教の、戦争で亡くなった方全てを慰霊する施設の建設しかない。

 時間が経てば経つほど、中韓を合わせて問題が何であったかの共通理解が薄れ、国対国の面子の問題に矮小化される怖れがある。今回の行動を契機として冷静な判断を国民が下されることを望む。