戦争は忌み嫌うものではないのか?

小泉首相靖国参拝に間することについて。
コメント欄は400字以内の制限があるため記事にすることにしました。

 まず初めに
太平洋戦争そして今まで地球上で起きた戦争で亡くなられた全ての犠牲者の方のご冥福をお祈りします。

 今回の小泉首相靖国神社参拝について日本国民のそれぞれに考えがあり意見があるということは承知しています。その中の一つの意見として私の考えがあるわけです。
 もし隣に人が居ればその人の心の中にも別な意見が存在するものと思っています。そして思いが同じ人が多く集まれば、そしてその考えが正しければ、世の中が平和になっていくものだと信じています。(その正しさを決める絶対的尺度がこの世に存在しないことは残念なのですが。)

 太平洋戦争で出征した兵士の方は、郷里に親族を残し、国を守るため、家族を守るためという思いで戦って戦死してしまったわけです。その人たちを日本国民が慰霊するのは当然のことだと思います。今回のことはそれをするなということでは有りません。しかしそれが靖国神社という場所で一国の総理が行う所に疑問を持っているのです。(このことに関しては、過去に何度も書いていますので省略します。)

 国を守るための戦争というのは何でしょうか? 戦争を始めるのは決して一般人ではありません。それは喧嘩です。では誰が戦争を始めたのでしょうか? 
 
 この太平洋戦争を始めたのは、時の内閣であり、軍部でした。私は全ての理由を知りませんが、「大東亜共栄圏」と言う言葉に代表されるように日本の領土を拡大するために行われたものだと考えています。その戦争が始まった時、日本国民の全てがその戦争に賛成したのでしょうか?

 もし今後戦争が起きた時、戦死しても靖国神社に神として奉るから戦死して来てくれと時の政府が言えば、その戦争に反対だったとしても戦争に狩り出されるのです。逃げれば、犯罪者になるわけですから。今の日本が民主主義国家だからといって、戦争が一端起きてしまえば、戦争が嫌だから出征拒否する日本人を国(政府)は許してくれるでしょうか?

 正しい戦争と言うのは、時の政府にとって正しいのです。もし過去を振り返りやり直すことが出来るなら、再び太平洋戦争を行っていたでしょうか?もし、何百万人の犠牲者を出さずにすんだなら、今頃日本はどのような国になっていたでしょうか?

 戦争は、決して美化する対象ではないはずです。何時も戦争に対して危惧を抱かなければこの先また同じことを繰り返してしまうでしょう。そうならないためにも、自分たちの過去を振り返り、戦争を引き起こしたことを後悔し反省しなければならないのだと思います。戦争を美化したいのは、権力をもった人間だけです。権力を持たないものは、その手足となって犠牲になってしまうのです。

 戦争と言う言葉は、漢字で書くと簡単ですが、その影に多くの人の死を伴っていることを忘れてはなりません。やさしい戦争は無いのです。必ず悲しみと不幸を連れてくる死神が居ることを忘れてはならないのです。